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2020年7月19日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「互いに仕え合うように」

2020年7月19日(朝・夕)礼拝説教「互いに仕え合うように」エフェソの信徒への手紙 5章21-33

聖書―エフェソの信徒への手紙5章21~33節
(はじめに)
先月6月、ちょうど私たちの教会の礼拝が再開された翌日、教会で、ある一組の結婚式を行い、司式をしました。新型コロナの影響で予約していた式場が使えなくなったということで急遽、教会で結婚式を挙げさせてほしい、というお願いの連絡があり、それを受けてのことでした。式は新郎と新婦の二人だけ、それも新郎新婦、そして、司式者である牧師、みんなマスクを着けての結婚式でした。結婚された二人にとっては自分たちが考えていたような式ではなかったかもしれませんが、これはこれで思い出に残る式になったのではないかと思っています。
今日お読みしました聖書の言葉は、教会で、キリスト教式で行う結婚式の時によく読まれる聖書の言葉の一つです。最近はこの箇所について、今の時代には適切ではない言葉が使われているということであまり読まれなくなっているようですが、大変有意義な内容も語られています。この箇所から、神さまのメッセージを聴いていきたいと思います。

(聖書から)
この箇所の最初の言葉、21節をお読みします。
5:21 キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
まず、記されていることは、互いに仕え合う、ということです。今日の説教題も「互いに仕え合うように」という題を付けました。この後の22節から、妻と夫に対する勧めがあります。さらに次の章、6章には親と子、奴隷と主人についての勧めが続きます。これら三つの勧めの最初に21節の「互いに仕え合いなさい」という言葉があります。
妻と夫が互いに仕え合う、親と子が互いに仕え合う、奴隷と主人が互いに仕え合う、そういう勧めです。妻と夫が互いに仕え合う。妻は夫に仕え、夫は妻に仕える、ということに私たちは、違和感はないと思いますが、読んでいきますと、そのような言葉にはなっていないのです。これは当時の社会の価値観、考え方が影響していると思いますが、妻は夫に対して「仕えなさい」とあり、夫は妻に対して「愛しなさい」となっていて異なった言葉が使われています。
22節にはこのような妻に対する勧めが記されていました。
5:22 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。5:23 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。5:24 また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
妻は自分の夫に仕えるように、と言われています。ここで注意したいことは、ただ自分の夫に仕えよ、と言われているのではない、ということです。「主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」とあります。ここで「主」というのは、私たちの主、救い主であるイエス・キリストのことです。イエスさまに仕えるように、自分の夫に仕えなさい、というのです。あなたの夫はイエスさまが与えてくださった人です。イエス様が与えてくださったから、あなたの夫に仕えなさい、と理解することができます。
23,24節では、キリストと教会ということが言われています。キリストが教会の頭であり、それと同じく夫は妻の頭である。教会は頭であるキリストに仕えるように、妻も夫に仕えるように、と言われています。キリストが教会の頭ということについてはそのままアーメンと言えるかもしれませんが、夫は妻の頭、このように言われると首を傾げたくなるかもしれません。しかし、最初に言いましたように、この聖書の言葉が書かれた時代の価値観、考え方から言われていることです。
妻と夫についての勧め。それと同時に語られているキリストと教会の関係。教会とはイエスさまを主と信じる私たちのことです。その私たちの頭、中心はイエスさまです。イエスさまが私たちを支え、助けてくださいます。私たちは頭であるイエスさまに仕えていくのです。そのキリストと教会の関係をそのまま妻と夫の関係に当てはめて語られているわけです。
続いて、夫に対する勧めです。
5:25 夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。5:26 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、5:27 しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。5:28 そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。5:29 わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。
夫に対する勧めでお気づきになったと思いますが、夫は妻に仕えなさい、とは言われていないのです。夫は妻を愛しなさい、と言われているのです。キリストが教会を愛されたように、教会のためにご自分をお与えになったように、夫よ、あなたの妻を愛しなさい、というのです。男性優位の社会、男性が女性を支配している社会、そういう時代、価値観が背景にあって語られているわけですが、夫は妻を愛するように。それもキリストがなさったように自分の命をかけて愛するように、と言われています。優位である、支配しているというのは一方で大きな責任が伴うということです。夫は妻に対して、とても大きな責任を負わされているということです。
そして、30節以下の言葉が続きます。
5:30 わたしたちは、キリストの体の一部なのです。5:31 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」5:32 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。5:33 いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。
キリストが教会に対してなさった愛に倣って、夫は妻を愛するように、という勧めが言われていますが、イエスさまは教会、すなわち、主を信じる私たちをご自分のこととして愛されているというのです。だから、夫も妻を自分の体のように、自分のこととして愛するように、というのです。ここに私たちはキリストの体の一部と言われています。キリストも私たちをご自分の体の一部、ご自分のこととしてくださっているというのです。この箇所から私たちは自分がキリストとどういう関係であるのか、ということを示されます。この私はキリストの体の大切な一部、キリストと一つにされているというのです。

(むすび)
今日の箇所では、妻は夫に仕えるように、夫は妻を愛するように、と異なった言葉が使われていましたが、言われていることの内実、中身は21節で言われていたように、「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」ということです。また、現代的にこの箇所を理解していくならば、妻に対して、夫に対してのそれぞれの勧めを夫にも、妻にも当てはめて理解してもよいかもしれません。例えば、夫は妻のことを命をかけて愛するように、と言われていましたが、妻も夫のことを命をかけて愛するように、というメッセージとして聴くことができると思います。
さて、最後になりますが、今日の箇所の鍵となる言葉、この21節の中で最も大事なことは、「キリストに対する畏れをもって」ということです。「畏れ」という言葉、畏れ敬うとか、尊い、という意味です。キリストを畏れ敬う、尊ぶ。その心を持って、互いに仕え合うのです。畏れということを考えますと、私たちの生きている世の中は、社会はどうでしょうか?神さまを畏れない。そればかりか、人間を、お互いを畏れない。その人の存在とか、命に対する畏れ、尊厳というものが希薄ではないでしょうか。「キリストに対する畏れをもって」。私たちは神さまを畏れ、互いの命、存在を畏れる。畏れを持って愛する、仕える。このことに努めていきたいと思います。
そして、その出発点は神さまが私たち一人一人を、畏れを持って関わってくださっているということです。神さまが人間を畏れるというのは、言葉の矛盾のように思える、おかしな言い方のようにも思えますが、神さまこそは私たち一人一人を尊い存在、尊い命としてくださっている方なのです。そして、そのことをお示しになるために、神さまのみ子であるイエス様をお送りくださり、ご自分の命を与えることによって(25節)、私たちに仕えてくださり、愛してくださいました。私たちは、このことをしっかりと自分の心に刻みつけて、その応答として私たちも畏れを持って、神さまのために仕え、愛する、お互いのために仕え合い、愛し合うことに努めてまいりましょう。

祈り
私たちの造り主なる神さま
今日の聖書の言葉から「互いに仕え合うように」というメッセージを聴きました。
仕え合う関係。人は共に歩む時、仕え合うことがなければ、共に歩むことは困難になります。主もご自分の弟子たちに「師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(ヨハネ13章14節)と互いに仕え合うことを教えられました。それは単なる美徳ということではありません。共に生きることができるために、主の栄光を表すためにそう言われました。
主はこのことを言葉だけでなく、ご自身が身を持って、私たちのために仕えてくださり、愛してくださり、お示しくださいました。このことをいつも思い起こし、そこから、互いに仕え合い、愛し合う者とさせてください。
「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(21節)とありました。神さまを畏れることをしない。互いの命、存在を畏れることをしない。そういう世にあって神さまがお求めになる真実の生き方を教え、導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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