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【週報巻頭言】2020年12月13日 キリストの内にいる者(フィリピ3章1~11節)

フィリピの信徒への手紙3章9節に「キリストの内にいる者と認められるため」という言葉がありました。キリストの内にいる者。私たちはイエスさまというと、こんなふうに考えているかもしれません。私の心の中にイエスさまがおられる。でも、イエスさまを信じていると言いながら、世の様々な出来事が起こってくると、イエスさまを心の隅に置いてしまう。何とか、イエスさまを私の心の中心に置くことができるように。そうやって、日々、反省して過ごしているかもしれません。でも、この言葉はそれとは反対です。私たちはイエスさまの内にいる者とされているというのです。私はイエスさまのことを心の隅に、いいえ、どこかに置き忘れているような毎日を過ごしているけれども、イエスさまの方は私のことをいつも大切にしてくださっている、いつも覚えていてくださっている、というのです。

この9節の「キリストの内にいる者と認められるため」が口語訳聖書では「キリストのうちに自分を見いだすようになるため」となっていました。私は青年時代、モラトリアム人間、自分探し、そういう話を聴いたものでした。自分探しの旅をしているうちに、青い鳥症候群になってしまった・・・、という話も聞きます。これは若いうちのことだけではありません。いつも何か心に満たされないもの、欠乏感がある・・・。今も私たちはそういうことで悩んだりしていないでしょうか?

キリストの内に自分を見出す。それは、私たちがキリストに出会うことによって、本当の自分を知ることができる、自分を見出すことができる、ということです。私たちは自分を人との比較の中で知るというのではない。自分はあれができた、これを持っている。そのことで自分の価値をはかるのでもない。私とはいったい何者か。神さまに造られた私であり、神さまに愛されている私である。このことをいつも覚えて、イエスさまという方に出会い、聖書の言葉を通して、この方と向き合って、語り合いながら、祈りながら生きるのです。主において喜びながら歩みましょう。

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