【週報巻頭言】2021年2月7日 キリストに捕らえられた私(フィリピ3章12~16節)
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。(フィリピ3章12節)
12節の最後の部分はとても印象的な言葉です。「自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」。自分がキリストに捕らえられている。私はこの言葉を読んで、イエスさまが言われたある言葉を思い出しました。それは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ15章16節)という言葉です。イエスさまを信じたとき、私がイエスさまという素晴らしい方を選び取った。そう思ったら、実は既にそれに先だって、イエスさまがこの私を選んでいてくださった、ということが言われています。パウロの言葉もこれと似ています。私が捕らえようとする前に、イエスさまがこの私を捕らえてくださっていた。イエスさまが私たちに先立って、私たちを選んでくださった、捕らえてくださった、そのことを私たちはしっかりと心に刻んでいたいと思うのです。
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