ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 説教
  4. 【礼拝説教】2021年5月23日「神の協力者」

【礼拝説教】2021年5月23日「神の協力者」

聖書―テサロニケの信徒への手紙一3章1~13節
(はじめに)
 今日の説教題は「神の協力者」としました。神さまに協力する人ということです。このようなことを聞いて、不思議に思われる方がおられるかもしれません。神さまという方は全知全能の方である。すべてのものをお造りになった方である。その神さまが私たち人間の協力など、必要ないのでは?しかし、今日の聖書の箇所には、このように書かれていました。「キリストの福音のために働く神の協力者テモテ」(2節)。パウロははっきりと書いています。キリストの福音のために働く神さまの協力者テモテ。神さまはご自分の働きのためにテモテに協力を求められたように、今、私たちにも協力を求めておられるのです。この私も神さまの協力者として、神さまの働きに加えてください。そのような祈りを持って歩んでまいりましょう。

(聖書から)
 先週お読みしましたように、パウロはテサロニケの教会へ行きたいと願っていましたが、そのことは実現しませんでした。そこでパウロはテモテをテサロニケに派遣することにしました。そのことについて、1~3節をお読みします。
3:1 そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、3:2 わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、3:3 このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。
 テモテとパウロの出会いについては、新約聖書・使徒言行録16章に書かれています(使徒16章1~3節)。またパウロはテモテに宛てた手紙の中で、テモテのことを「信仰によるまことの子テモテ」(一テモテ1章2節)、「愛する子テモテ」(二テモテ1章2節)と書いています。パウロにとっては、テモテは愛する弟子と言える人物でした。そのテモテをテサロニケへ派遣したのは、お読みしましたように、「あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするため」(2、3節)だったということです。
 私たちにとっては、信仰の励ましは大切です。私たちの人生には苦難があります。苦しみ、辛い出来事、そのような時、私たちの信仰は動揺する。揺れ動いてしまいます。神さまはなぜ、私をこのような苦しい目に遭わせられるのか?神さまは私を愛してはおられないのか?神さまはおられないのか?苦しみの中にあると、すぐに私たちの心は揺らぎ、信仰は揺らいでしまいますから、励ましは必要です。ところで、3節には、このようなことも書かれていました。「わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています」。
 「苦難を受けるように定められている」。あまり嬉しくない言葉です。しかし、キリストを信じるゆえに、苦しみを受けるということは聖書が私たちに教えていることです。パウロは自分が神さまから召される時、このようなことを聞いていました。パウロを導いたアナニアに語られた主の言葉です。使徒言行録9章15、16節をお読みします。
9:15 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
 パウロはアナニアからこの言葉を聞いていたと思います。そして、このことはパウロだけでなく、キリストに従う人すべてに言われていることです。そのことが書かれている聖書の言葉も読んでみましょう(フィリピ1章29節)。
1:29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。
 キリストを信じるゆえの、従うゆえの苦しみ。そのことについて、ここには「キリストのために苦しむこと」とあります。これを聞くと、イエスさまを信じるというのはしんどいことだなあ、とためらってしまうかもしれません。皆さんはご自分の家族のことで考えてみてください。家族と一緒に生きるということ。それは楽しいことばかりではありません。家族の苦しみを一緒に担うこともあります。楽しいことだけで、しんどいことだけは担わない、というのなら、本当には家族ということにはならない、家族を愛するということにはならないと思います。私たちがキリストを信じる、キリストに従うということ、それは皆さんが家族と一緒に生きる、喜びの中でも苦しみの中でも一緒に生きるように、イエスさまと一緒に生きるということです。イエスさまが私たちの苦しみを担ってくださっているように、私たちもイエスさまのために苦しむのです。
 さて、テモテをテサロニケへ派遣したパウロでしたが、テモテからは嬉しい報告も受けました。そのことについて、6節以下に書かれています。
3:6 ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。3:7 それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。3:8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。
 パウロはテサロニケの教会を励ますために、テモテを派遣しました。ところが、ここに書かれていますように、パウロ自身が励まされた、というのです。それはどのような励ましであったかというと、「あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせ」、「あなたがたの信仰によって励まされました」とあります。テサロニケの教会が苦難の中にありながら、キリストを信じる信仰、愛に生きていることを聞いて、それがパウロにとって大きな励ましとなったことが言われています。
 8節に「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです」とあります。「主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言える」。この「わたしたちは生きている」という言葉、これは直訳的に訳していますが、別の訳を見ますと、「私たちは今、生きがいがあります」(新改訳)、「私たちは今、安心しています」(聖書協会共同訳)と訳されています。主に結ばれているなら、つながっているなら、私たちは生きている、本当に生きていると言える。生きがいとなる、安心できる、というのです。
 さらにパウロは喜びに溢れて、このように語ります。
3:9 わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。3:10 顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。
 パウロの喜び、そして、祈りがここに書かれています。パウロは「あなたがたの信仰に必要なものを補いたい」と言っています。私たちはどうでしょうか?信仰の友から、あなたの信仰に必要なものを補いたいと願っていますよ、祈っていますよ、と言われたら、「ええ?私の信仰って、その程度のものですか?私の信仰って、まだ不十分なのですか?」そんなふうに受け止めるかもしれません。でも、考えてみますと、私たちの信仰というのは、その程度のもの、不十分なものなのではないでしょうか。もうこれで十分とか、大丈夫と言えるようなものではないのではないでしょうか。
 私がある牧師先生の言葉でいつも思い出すことがあります。それは、「生涯、求道者」という言葉です。その先生が言われたのは、まだイエスさまを信じていない人、未信者の方で、信仰を求めている方について、求道者と言うけれども、イエスさまを信じた人も生涯、求道者なのではないか、ということです。私は本当にそうだと思います。イエスさまは言われました(マタイ7章7節)。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。この求めなさい、探しなさい、門を叩きなさい、というのは、誰に語られた言葉でしょうか?もうイエスさまを信じているから、私は求めなくてもいいです、というのなら、それは違うと思います。私たちも生涯、求道者です。生涯、求め続ける、探し続ける、門を叩き続けるのです。

(むすび)
 私たちは神さまの協力者とされています。神さまが私たちに協力を求めるなんて、不思議に思えるかもしれませんが、神さまは、不完全な、不十分な私たちを愛しておられ、喜んでおられ、ご自分の働きのために用いてくださるのです。パウロは別の箇所でも、神さまの協力者ということについて語っています。
6:1 わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
 神さまからいただいた恵みを無駄にしてはいけない、ということも言われています。神さまは私たちを神さまの協力者として用いてくださるために、恵みを与えてくださいました。それなのに、私たちが神さまの協力者として、神さまの働きに加わらない、ということは、神さまの恵みを無駄にするということなのです。私たちは神さまの恵みを受けた一人一人です。そればかりか、私たち自身は神さまによって造られた者です(エフェソ2章10節)。
2:10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
 私たちは神さまに造られたものです。神さまの作品(口語訳、新改訳など)です。私たちを造ってくださった神さまの善い業のために歩んでいきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 神さまは私たちをご自分の働きのための協力者としてくださったことを感謝します。
 私たちは神さまから恵みを与えられました。それは永遠の命を与えられ、日々の生活を生きるための糧を与えられました。そして、神さまの働きに加わるために必要なものを与えられました。その恵みに感謝して、神さまのために働く者としてください。
 私たちは求道者です。神さまは私たちが求めるなら、探すなら、門を叩くなら、本当に大事なものを与えてくださいます。それなのに、別なもので心を満たし、もう十分と思ってしまうことがあります。どうか、本当に大事なものを求め続け、生涯、求道者として歩み続ける者としてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

カテゴリー

アーカイブ

月を選択