ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. メッセージ
  4. 【週報巻頭言】2021年5月23日 なお道を進まれるイエスに従う(マルコ10章46~52節)

【週報巻頭言】2021年5月23日 なお道を進まれるイエスに従う(マルコ10章46~52節)

イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。 (マルコ10章51、52節)

バルティマイはイエスさまと出会い、対話をします。私たちの信じる神さま、救い主という方は対話をされる方です。私たちは聖書を読むことを通して、祈ることを通して、神さまと対話をするのです。イエスさまはバルティマイに問いかけられます。「何をしてほしいのか」と。イエスさまはバルティマイの心の中もすべてご存じであったでしょう。しかし、ご自分と直接、出会い、向き合うことを望まれたのです。あなたが私に願っていることは何か?あなた自身の言葉で言いなさい、と言われたのです。すると、バルティマイは「先生、見えるようになりたいのです」と言いました。この「先生」という呼び方は、ラブーニという言葉で、私の先生という意味です。この人はまだイエスさまがどのような方であるか、はっきりとは知りませんでしたが、イエスさまのことを、彼にとっては、最高に素晴らしい方、という意味で言ったのです。そして、見えるようになりたい、と率直に自分の願いを申し上げました。

イエスさまは言われました。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。「あなたの信仰」とあります。それはイエスさまに対する心からの信頼です。バルティマイは目が見えるようになりました。「盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」。バルティマイの目が見えるようになった。しかし、そこでこの話は終わりではありません。「すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」。見えたということで話は終わってはいません。彼は、なお道を進まれるイエスさまに従った、というのです。目が見えるようになったのが救いではありません。目が見えるようになっただけでなく、霊の目が開かれ、イエスさまに従うようになった。それが救いです。イエスさまと一緒に道を歩む、十字架の道を歩む。それが救いです。私たちもイエスさまと一緒に歩んでまいりましょう。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

アーカイブ

月を選択