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【週報巻頭言】2021年7月11日 落ち着いた生活(一テサロニケ4章1~12節)

「そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。」(一テサロニケ4章11、12節)

「落ち着いた生活」とあります。その生活とはどういうものかというと、「自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」ということです。落ち着いた生活をするように、とありますが、落ち着かない生活をしていた人たちがいました。それはイエスさまが再臨される、イエスさまが再び来られる。そのことを待ち望んでいた人たちの中に、イエスさまはいつ来られるだろうか、と落ち着いた生活をしないで、仕事も手に付かない状態で過ごしていた人たちがいたのです。

宗教改革者で知られるマルチン・ルターという人はこのような言葉を遺しています。「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」。これはどういう意味かと言いますと、どんなことが起こったとしても、私は神さまが私に与えられている仕事を誠実に、黙々と行うのだ、ということです。私に与えられている仕事。仕事というと、会社に行って働くというようなことを連想するかもしれませんが、仕事というのはいろいろなものがあると思うのです。家庭での仕事があります。教会での仕事があります。いろいろなところで、いろいろな仕事があります。その与えられた仕事を私たちは誠実に行っていきたいと思うのです。私はある方が言われた言葉を思い起こします。「私にとって、最も大事な仕事、生涯かけてするべき仕事、それは生きるという仕事」。生きるという仕事、それは神さまから与えられた命を生きるということです。

テサロニケの信徒への手紙一4章12節には「外部の人々に対して品位をもって歩み」とありました。ほとんどの日本語訳も「品位をもって歩み」となっていますが、「姿よく歩み」(田川訳)と訳されているものがありました。「姿」ということについて、私はキリストの姿と受け取りました。神さまから与えられた命を精一杯生きる。それこそはキリストの姿を表すことなのではないでしょうか。神さまから与えられた命を一日一日、精一杯生きる。そのようにしてキリストを表していけたら幸いです。

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