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【礼拝説教】2021年8月15日「神は真実な方」

2021年8月15日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「神は真実な方」コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章1~9節

聖書―コリントの信徒への手紙一1章1~9節
(はじめに)
お読みしました聖書の箇所はコリントの信徒への手紙一です。これはキリストの使徒パウロがコリントの教会の人たちに書き送った手紙です。パウロとコリントの教会の関わり、そこから、お話しいたしますと、パウロはイエスさまの福音を宣教する、宣べ伝えるために、宣教旅行をしました。パウロの宣教旅行については、聖書をお持ちの方は聖書の後ろの方に地図が付録として付いています。そこにパウロの宣教旅行の1とか、パウロの宣教旅行の2、3という地図があります。そのうちの2、つまり、パウロの二回目の宣教旅行の時、パウロはコリントで宣教しています。その時のことは、新約聖書の使徒言行録18章に書かれていますので、後でお読みください。パウロはコリントで一年半、宣教活動を行いました(使徒18章11節)。そして、教会が建ちました。そういうわけで、パウロにとっては、自分が宣教に関わった教会、その教会が今どうなっているのかを伝え聞き、この教会に対して、励まし、アドバイスを書いたのです。その手紙をこれから、この礼拝で読んでいきます。

(聖書から)
1:1 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、1:2 コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。
パウロ、そして、ソステネという人が一緒に書き送った手紙であることが分かります。コリントの教会について、パウロはこのように書いています。「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」。ここから、二つのことが分かります。一つはコリントの教会の人たち、この人たちはキリストによって聖なる者とされたということです。聖なる者、それは神さまのものとされた人ということです。聖という言葉を聞くと、私たちは自分とはほど遠い存在のように思えます。聖、きよい、私はそういう者ではない。確かに私たちは自分自身のことを見つめていくと、そう言わざるを得ません。罪深い、愛のない自分。しかし、そういう私を主はご自分のもの、神さまのものとしてお選びくださいました。コリントの教会の人たち、そして、私たちの教会の人たちは聖なる者です。しかし、自分がそれにふさわしいからとか、自分の努力でそうなった、というのではありません。ここにこう書いてありました。「キリスト・イエスによって」。キリストがそのような者にしてくださった、ということです。
もう一つのことがここに書かれていました。「召されて聖なる者とされた人々」。ここに「召されて」とあります。それは神さまから特別の使命が与えられた者ということです。この手紙を書いたパウロ自身、自分のことをこう書いていました。「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ」。ここにも、「召されて」とあります。私たちはキリストによって、神さまのものとされただけでなく、神さまからの特別の使命が与えられた者なのだ、ということです。その使命とは何でしょうか?神さまの福音を人々に宣べ伝えるという使命です。私たちはこの使命を忘れてはなりません。神さまのものとされた私たちはキリストの体である教会とされ、兄弟姉妹と一緒に神さまを礼拝し、祈る者とされました。そして、一緒に福音を宣べ伝える働きに励んでいくのです。
これに続いて、パウロはこのように語ります。
1:3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
1:4 わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。
神さまの恵みと平和を祈り、感謝の言葉を語ります。「あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています」。あなたがたはキリストによって、神さまの恵みを受けています、と言っています。私たちはこのことを意識しているでしょうか?私は神さまの恵みを受けている。神さまの恵みとは何でしょうか?それは罪からの救いです。罪によって死に向かっていた私たちのために神さまは大切なみ子であるイエスさまを私たちに送ってくださいました。そして、イエスさまの十字架の救いによって私たちは永遠の命をいただきました。これが、神さまが与えてくださった最も大きな恵みです。救いという大きな恵みです。また神さまは私たちが生きるために必要なものを与えてくださっています。
私たちの教会で使用している賛美歌、新生讃美歌では103番に「望みも消えゆくまでに」という賛美歌があります。この賛美歌の歌詞の中に「数えてみよ 主の恵み」とあります。主の恵みを数える。それは主の恵みをおぼえるということです。神さまが私たちに与えてくださっている恵みの一つ一つを思い起こし、感謝をささげていきましょう。パウロの感謝のことを読むと、パウロは神さまの恵みをおぼえ、感謝する人であったことが分かります。「いつもわたしの神に感謝しています」とあります。パウロはいつも神さまに感謝していた、というのです。
1:5 あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。1:6 こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、1:7 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。
5節には、「豊かにされています」とあります。キリストに結ばれた人、キリストと共に生きる人は豊かにされるというのです。ここで言われている「豊か」というのは、経済的なこと、お金持ちになるとか、そういうことが言われているのではないことはお分かりになると思います。あらゆる言葉、知識において豊かにされるということです。それは神さまの言葉を聞き、神さまのことを深く知るということです。その人は、語る言葉、生き方において、キリストの豊かさを表す者とされるのです。キリストの豊かさ、それはキリストの愛、キリストの真実を表す者とされるということです。
6節には、「キリストについての証し」とあります。証しというと、自分がキリストを信じる者として、何か立派な行いをしたことを話すことだと考える人がいます。しかし、それだと単なる自分の自慢話になってしまいます。しかし、そうではありません。私たちはキリストがこの私を愛し、私のためにしてくださった救いのみわざ、神さまの恵みを人々に証しするのです。ですから、私たちはこのように言うべき、考えるべきです。「私は神さまに愛されている、神さまの恵みをいただいた。その感謝から、このことを行っています」と。
7節の後半に「わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます」とありました。キリストの現れを待ち望む。キリストの現れとは何でしょう。それはイエス・キリストが再びおいでになる。そして、救いを完成されることです。キリストを信じる人はこの日を待ち望むのです。そのことについては次の8節にも書かれています。
1:8 主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。
主がその日まで、私たちをしっかり支えてくださる、というのです。主が再び来られる日、その日には私たちは非のうちどころのない者にしてくださる。これは別の訳では「責められるところのない者」(口語訳、新改訳)となっています。この「責められる」というのは、自分の罪について責められるということです。私たちは主が来られるその日、主は私を裁かれ、私の数々の罪について責められるだろう、と考えるかもしれません。しかし、ここには、その日には責められるところのない者にしてくださる、というのです。なぜ、でしょう。イエスさまの十字架による罪の赦しによって、そのように言うことができるのです。イエスさまの十字架の救いによって、この私のすべての罪は赦された!私たちはこのことを信じる、最後まで信じるのです。

(むすび)
1:9 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
神さまは真実な方。だから、安心して、この方を信じるのです。神様を信じてはみたものの、本当に救われるのだろうか?そういう心配はいらないのです。神さまは真実な方ですから、聖書に書かれているとおり、救いの約束を実現してくださいます。9節の後半にはこのようなことが書かれています。「あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです」。私たちはイエスさまとの交わりに生きる者とされました。
教会には、デボーション、黙想、そういったことを行っている人たちがいます。毎日の生活の中で、聖書を読むとか、お祈りをするということです。なぜ、そのようなことをするのかというと、私たちはイエスさまとの交わりに招き入れられた者だからです。聖書を読むとか、お祈りをする、というのは、お勉強や儀式というものではありません。イエスさまとの交わりを楽しみ、喜ぶためのものです。このことを通して、私たちの信仰の目が日々、開かれて、今よりもっともっとイエスさまのことを知るようになります。生きる力が与えられ、主に従う者になります。神さまが私たちに送ってくださった聖霊が私たちに大切なことを教えてくださる、気づかせてくださいます(ヨハネ16章13節)。日々、主との交わりに生きる私たちでありたいと思います。

祈り
恵み深い主なる神さま
神さまは真実な方です。あなたは私たちを罪から救うために、ご自分の大切なみ子イエスさまをお送りくださいました。イエスさまは十字架にかかり、私たちをすべての罪から救い、私たちが主の日に責められることのない者にしてくださいましたことを心から感謝します。
神さまは私たちをご自分との交わりに生きる者としてくださいました。私たちが神さまの言葉を聞き、神さまの愛と真実を知る者としてください。神さまの愛と真実を知る時、私たちは自分がそれとはほど遠い者、罪深い者であることに気づかされます。しかし、主がその私を赦し、その私と一緒に歩んでくださいますから感謝します。小さな者、弱さを抱える私たちですが、どうか、主のためにお用いください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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