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【週報巻頭言】2022年3月6日 心は燃えても、肉体は弱い(マルコ14章32~42節)

それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」(マルコ14章37、38節)

イエスさまはゲツセマネで弟子たちに祈りのリクエストをされました。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」。この「心は燃えても、肉体は弱い」というのは、どういう意味でしょうか?私たちはいろいろなことを決心したりしますが、くじけてしまうことがあります。決心という言葉は文字通り、心で決めるということです。私たちは自分の心で決めるのです。年が明けると、新年の抱負ということで、今年はこのことをやり遂げよう、と決心します。でも、続かないことがあります。イエスさまの弟子たちも、私たちは決してイエスさまを知らないなどとは言いません!死ぬまで、主に従います!と決心して歩んできたことでしょう。私たちもバプテスマを受ける時には、そういう決心をします。しかし、どうでしょうか?「心は燃えても、肉体は弱い」。そういう私たちです、弱い私たちです。

イエスさまは、弟子たちに、あなたがたには、祈ってほしい、と言っていたのに、なぜ、眠ってしまったのか?あなたがたは弱くてダメだ!そうおっしゃったでしょうか?いいえ、イエスさまは「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」と言われました。弟子たちが弱いことを主はよくご存じでした。だから、こうおっしゃったのです。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」。私たちは弱い。だからこそ、祈るのだ、と言われるのです。

祈る人というと、信仰深い人、強い人と考える方があるかもしれません。でもその反対です。神さまに祈らなければやっていけないことを知るから祈るのです。自分だけではやっていけない。神さまに助けてもらわなければどうにもならない。そのことを知るから祈るのです。祈らざるを得ないのです。

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