【週報巻頭言】2022年4月24日 主は振り向いてペトロを見つめられた(ルカ22章54~62節)
主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカ22章61、62節)
ここには、ルカによる福音書だけにしか書かれていない言葉があります。それは「主は振り向いてペトロを見つめられた」という言葉です。他の福音書の記者たちは、このことに気づいていなかったのでしょうか?そのことは分かりませんが、ルカによる福音書の記者であるルカは「主は振り向いてペトロを見つめられた」、このことを大事なこととして書いています。
この言葉を読んで、どのようなことを思われたでしょうか?もしかすると、イエスさまは、「それ見たことか!どんなに強い決心をしても私を知らないと言ってしまったではないか!」と裁きの目を持って、ペトロを見つめられた。あるいはペトロをにらまれた、と受け取られた方があるかもしれません。私は、このイエスさまがペトロを見つめられた、ということから、イエスさまがペトロに言われた言葉を思い起こさせられます。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)。
イエスさまはペトロをにらみつけたのではない。裁きの目で見つめられたのではない。そのように私は思うのです。むしろ、この言葉にありますように、私はあなたのために祈っているよ。あなたが立ち直る日が来るように祈っているよ。どんなペトロであっても、イエスさまは見捨てない。イエスさまはペトロを愛し続けておられ、祈り続けておられる。イエスさまがペトロを見つめた目、それは裁きの目ではなく、愛のまなざしであり、赦しのまなざしである。私はそう信じています。
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