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【週報巻頭言】2022年5月29日  「正しいこと」とは?(マタイ3章13~17節)

しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。(マタイ3章15節)

イエスさまは、バプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになろうとしました。すると、ヨハネは大変恐縮してしまいました。そのヨハネに主は、ご自分がバプテスマを受けることを止めないでほしい、と言われました。そして、こうも言われました。「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」。イエスさまは、「正しいこと」と言われました。イエスさまは神の子、救い主なのに、まったく罪のないお方なのに、悔い改めのバプテスマを受けるというのは、ヨハネにとっては受け入れがたいことでした。でも、イエスさまはそれを「正しいこと」と言われました。

この「正しいこと」というのは、神さまの目に正しいことということです。神さまのみ心に適ったことということです。もっと言うと、神さまの救いのご計画の一つということです。悔い改めのバプテスマ、それは私たち人間が受けるべきものです。私たち人間が罪を悔い改めて、神さまに従って行くため、神さまを愛するためにすることです。イエスさまは神の子、救い主ですから、罪はありません。悔い改める必要もありません。それなのに、ヨハネから悔い改めのバプテスマを受けようとされた。それは、イエスさまが私たち人間の側に立たれた。私たち罪人の中に来られた、ということなのです。

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。(二コリント5章21節)

罪のないお方が罪深い私たちのところにおいでになり、私たちの罪の身代わりとなってくださいました。そのことによって、私たちは罪を赦されたのです。

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