ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. メッセージ
  4. 【週報巻頭言】2022年9月18日  多くの人を得るために(一コリント9章19~23節)

【週報巻頭言】2022年9月18日  多くの人を得るために(一コリント9章19~23節)

パウロは、自分は罪に支配されていない、また誰にも支配されていない、と言いました。そう言っているのに、その次にこのようなことを言っています。「すべての人の奴隷になりました」(一コリント9章19節)。パウロは、自分は自由だ、と言っているのに、すべての人の奴隷になりました、と言っています。何と矛盾したことを言っているのでしょう。ただここで注意してみたいのは、奴隷にされた、とは言っていません。奴隷になった、と言っているのです。つまり、自分から望んで、希望して、奴隷になった、ということです。

奴隷。それは僕、仕える者ということです。ところで、なぜ、パウロは自分から希望して、奴隷、僕、仕える者になったというのでしょう。同じ19節には、このような言葉が続けられています。「できるだけ多くの人を得るためです」。これは何を言っているのでしょう。イエスさまは福音を宣べ伝えるにあたって、まず、何をしたかというと、ご自分の弟子を求められました。イエスさまはガリラヤの漁師たちに声をかけられました。その時、イエスさまが言われたのが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1章17節)ということでした。

漁師たちの仕事は魚を獲ることでした。その漁師たちに向かって、イエスさまは「人間をとる漁師にしよう」と言われました。魚を獲る漁師から、人間をとる漁師へ。これが福音を宣べ伝えることの目的です。一人の人が神さまの福音を聞いて、受け入れて、神さまに捕らえられる、神さまのものとされる。私たち人間は神さまに造られた者ですから、神さまのものとされる、というのは、神さまに立ち帰る、神さまのもとに帰るということです。

できるだけ多くの人を得るため。それは一人でも多くの人が神さまのものとされるため、神さまに立ち帰るため。そのためにパウロはすべての人の奴隷になった、というのです。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

アーカイブ

月を選択