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深く憐れまれた(マタイ9章35~38節) 【週報巻頭言】2023年12月3日

また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。(マタイ9章36節)

「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」状態。それは、神さまを見失い、神さまの恵みが見えず、分からず、自分の罪にも気づかず・・・という状態のことが言われているのです。自分では、弱り果てているとか、打ちひしがれているなどとは思っていない。自分の本当の状態、姿には気づいていない。そういう一人一人のことをご覧になり、イエスさまは「深く憐れまれた」というのです。「深く憐れまれた」という言葉は、「腸(はらわた)がちぎれる想いに駆られた」(岩波訳)とも訳されます。断腸の思いということです。

イエスさまは、人々の様子をご覧になって、「深く憐れまれた」。これが、イエスさまの福音宣教の理由、動機です。私たちの本当の姿をご覧になって、心を痛められ、福音を宣べ伝えられたのです。イエスさまは続いて、こう言われました。

そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(同9章37節)

「収穫は多い」と言われました。それは、「弱り果て、打ちひしがれている」人たちがたくさんいる、ということです。その人たちが神さまに出会うために、働き手が必要であると言われ、弟子たちにそのことを祈るように言われました。弟子たちの中には、「この私を福音宣教の働き手として用いてください」と祈った者もいたでしょう。「私には無理です。私ではなく、あの人を」と祈った者もいたかもしれません。私たちは、この主の言葉から、何を聴くでしょうか?私たちもイエスさまが言われたように、収穫のために、福音宣教のために、働き手を送ってください、と祈っていきたいと思います。祈りの中で、あなたも私と一緒に福音を宣べ伝えよう、とイエスさまからの語りかけを聴くことができたら幸いです。

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