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【クリスマス・イヴ礼拝説教】 2022年12月24日 「あなたのクリスマス」

クリスマス・イヴ礼拝動画は教会員への限定公開となっております。
録画をご視聴されたい方は、その旨、メールにてご連絡ください。
別途URLをご連絡させていただきます。

聖書―ルカによる福音書2章1~20節
(はじめに)
クリスマス、おめでとうございます!ただいま私たちは教会に集まって、クリスマス・イヴ礼拝を行っています。クリスマス・ページェントを見ながら、私は聖書の中の一つの言葉を思い出しました。こういう言葉です(一ヨハネ1章1、2節)。
1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。―― 1:2 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――
「命の言」というのは、神さまの言葉であり、イエス・キリストのことです。その方を私たちは聞いた、見た、よく見て手で触れた・・・。そして、その方を私たちは今ここで伝えているのです。イエスさまに出会った人は、イエスさまを聞いた人は耳で伝え、見た人は眼で伝え、出会った人は心で伝えるのです。耳で伝えるというのは、今このようにしてお話ししていますが、言葉で伝えるということです。眼で伝えるというのは、クリスマス・ページェントのように、視覚で伝えるということです。そして、心で伝えるというのは、私たちの生活のただ中で伝えるということです。

(聖書から)
私たちのためにおいでになったイエスさま、クリスマス・ページェントでご覧になりましたように、その誕生をお祝いしたのは、博士たち、そして、羊飼いたちでした。博士や羊飼いというと、神さまから選ばれた素晴らしい人たち、素敵な人たちと思うかもしれませんが、そうではありませんでした。
博士たちというのは、東の方からやって来た人たちで、聖書はユダヤが舞台ですが、ユダヤ人ではない人たち、異邦人と言われる人たちでした。異邦人は神さまから遠く離れた人たちと言われ、嫌われていました。そういう彼らがこう言っています。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ2章2節)
星に導かれて、異邦人であった博士たちはお生まれになったイエスさまのところへと向かいました。
羊飼いたちはどうだったでしょうか?彼らは、羊の番を夜通し行っていました。羊飼いというと、聖書の中でも、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩編23編1節)という言葉があります。神さまは私たちの羊飼い、私たちを守り、導き、養ってくださる方。神さまが羊飼いに例えられますが、二千年前の時代、羊飼いというのは、羊の番で忙しく、礼拝にも出られない。また羊の世話をして不衛生であるとして、人々から嫌われていたそうです。そういう羊飼いたちでしたが、神さまの使いである天使が彼らに、こう告げます。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2章10~12節)
救い主があなたたちのために、世界中のみんなのためにお生まれになりました!というのです。その救い主はどこにいるのかというと、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」というのです。
飼い葉桶とは何でしょうか?これは牛や馬の餌箱のことです。飼い葉桶というのは、きれいなものではありません。むしろ、くさい臭いがしたり、牛や馬の糞がくっついていたりしたかもしれません。飼い葉桶は汚いところです。そこにお生まれになったイエスさまが寝かされていた、というのです。
ある人は飼い葉桶について、こう言っています。「飼い葉桶というのは、まるで私の心の中のようだ」。皆さんはどうでしょうか?使徒パウロは、自分の心の中のことをこう言っています(ローマ7章15、17節)。
7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
パウロは自分の心の中をのぞいてみました。すると、分かったことがあります。私は善いこと、正しいことは知っている。だから、善いことをしようと、正しいことをしようと一生懸命に励んでいる。でも、私の心の中には、罪が住んでいて、善いことをしながらも、正しいことをしながらも、心の中では、人を憎んだり、妬んだり、見下したりしている。人を愛せない自分、自分のことばかり考えている自分。それが、聖書が示す罪なのです。
もう一度、聖書の言葉を読みます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。
飼い葉桶とは、私たちの心と言いました。私の心には罪が住んでいるとパウロは言いました。しかし、その飼い葉桶に、つまり、私の心にイエスさまがおいでになり、住んでくださるのです。それがクリスマスです。

(むすび)
クリスマス・イヴはクリスマスの前の夜の12月24日、そして、クリスマスは12月25日です。それで私はよくこのようなことを尋ねられます。「イエスさまがお生まれになった時、イエスさまは寒かったでしょうね。真冬にお生まれになったのですから」。実はイエスさまの誕生日は12月24日でも、25日でもないのです。イエスさまの誕生日はいつの日なのかは正確には分かりませんが、イエスさまが私たちのところに、この世界においでになったことを記念する日として、12月25日をクリスマスと決めたのです。しかし、本当のクリスマスというのが別にあるのです。ところが、それは皆さん、それぞれクリスマスの日が異なります。なぜ、それぞれクリスマスの日が違うのかというと、本当のクリスマスというのは、あなたがイエスさまを自分の心にお迎えする日のことだからです。その日があなたのクリスマスです。そして、クリスマスはその日からずっと続きます。あなたのクリスマスはいつでしょうか?あなたのクリスマスはいつから始まりますか?お祈りします。

祈り
恵み深い主なる神さま
神さまが私たちのために救い主をお送りくださったことを感謝します。
この方こそ、神さまが私たちに与えてくださった最高のプレゼントです。
この方を心にお迎えして、救い主イエスさまと一緒に人生を歩む方がありますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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