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2020年9月13日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「見えるということ」

2020年 9月13日(朝・夕)礼拝説教「見えるということ」マルコによる福音書8章22~26節

聖書―マルコによる福音書8章22~26節
(はじめに)
今日お読みしました聖書の話は、一人の目の見えない人とイエスさまとの出会いが記されていました。聖書を読みますと、そこには多くの出会いが記されています。それはイエスさまとの出会いです。ここにおられる皆さんもイエスさまとの出会いを体験された方々ではないでしょうか?この方は私たちの目には見えませんが、聖書の言葉を通して、イエス・キリストという方に出会うことができるのです。
ヨハネによる福音書1章には、イエスさまに出会った人たちの言葉が記されています。アンデレという人がイエスさまに出会い、自分の兄弟シモン・ペトロをイエスさまのところに連れて行く場面です。アンデレは兄弟シモンにこう言っています。「私たちはメシア-『油を注がれた者』という意味-に出会った」(ヨハネ1章41節)。もう一人はフィリポという人です。この人は自分の友人のナタナエルにこう言っています。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(ヨハネ1章45節)。
アンデレは自分の兄弟に、フィリポは自分の友人に、私はイエスさまに出会った、と言っています。教会が行う伝道、福音宣教とはこのことです。人々に私はイエスさまに出会いました。自分が出会ったイエスさまをお伝えするということです。

(聖書から)
さて、今日の箇所にもイエスさまに出会った人のことが記されていた、とお話ししましたが、その経緯はこのようなものです。
8:22 一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。
イエスさまと弟子たちの一行はベトサイダに着いた、ということです。ベトサイダというのは「漁師の家」という意味で、先ほどお話ししましたシモン・ペトロやアンデレ、フィリポの出身の町と言われています。また、ペトロやアンデレという人たちは元々、この地で漁師をしていました。
イエスさま一行のところにある人々がやって来ます。彼らは一人の目の見えない人を連れて来ました。そして、イエスさまに、この人に触れてください、と願います。「触れる」とはどういうことでしょうか?イエスさまがこの人に触れてくださったら、目が見えるようになる。そのように考えたのでしょうか。
この人々は善意の人たちであった、と思います。目の見えないことで苦労していることを知っていて、イエスさまという方は病気を癒したりする力を持っていると聞いて、ぜひ、この人の目が見えるようにしてください、と願ったのでしょう。それに対して、イエスさまはどうされたか、23節に記されています。
8:23 イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。
イエスさまはこの目の見えない人の手を取って、村の外に連れ出した、ということです。村の外に連れ出してしまうということは、周りに誰もいないことになります。なぜ、連れ出されたのでしょうか?イエスさまはこの人と一対一で向き合われたのです。イエスさまはこの人との個人的な、人格的な出会いを求められたのです。
最初にお話ししましたように、キリスト教は出会いの宗教です。イエス・キリストという方と出会う。そこから始まるのがキリスト教の信仰です。目の見えない人のことを心にかけてくれた人々がいました。彼らがこの人をイエスさまのもとに連れて行ったのです。そして、イエスさまはこの人を村の外に連れ出され、個人的な、人格的な出会いを求められたのです。
イエスさまはこの目の見えない人に何をされたのか、続きを読んでみますと、「その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった」とあります。この唾をつけるとか、両手を置く、というのは、おそらく、当時の癒しの行為であった、と思われます。イエスさまはこのことを行うことによって、自分は今、この人を癒しているということを表したのでしょう。そして、イエスさまはこの人にお尋ねになります。「何か見えるか」。この人はどうなったでしょうか。
8:24 すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」
目の見えない人が見えるようになった、ということが記されています。ところで、私たちの使用している新共同訳聖書では「すると、盲人は見えるようになって」とあります。この言葉を別な訳で見てみますと、口語訳聖書では「すると彼は顔を上げて」となっています。新改訳2017では「すると、彼は見えるようになって」おり、新共同訳と変わりませんが、別訳として、「見上げて」となっています。
顔を上げる、とか、見上げる、というと、信仰的な意味を持つように思います。顔を上に上げなさい、とか、見上げてご覧なさい、というと、何か希望を持って、とか、前向きに、というような意味に思えますが、聖書では、顔を上げる、とか、見上げる、というと、神さまの方を見ていきなさい、見上げなさい、ということになるでしょうか。目の見えなかったこの人はイエスさまに出会い、イエスさまによって癒され、神さまの方に心を向けるようになった、という意味で考えることができます。
目の見えなかったこの人はイエスさまによって見えるようになりました。彼はこう言っています。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」。人が見えると言いました。木のように見えるけれども、歩いているのが分かります。この言葉からは、まだはっきりとは見えていない。ぼんやりと見えている。そんなふうに思えます。
この人の言葉を聞いたイエスさまは続いて、このようなことをなさいました。
8:25 そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。
イエスさまはもう一度、両手をその目に当てられました。すると、よく見えてきて癒され、何でもはっきり見えるようになった、ということです。初めにイエスさまがなさった癒しの行為に続いて、二度目になさった癒しの行為により、はっきりと見えるようになった、ということです。
イエスさまは最後にこう言われました。
8:26 イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。
イエスさまは目の見えなかったこの人を見えるようにしてくださいました。けれども、この人を村の外に連れ出し、癒された後も、この村に入ってはいけない、と言われました。つまり、この人が癒されたことを村の人たちは誰も知ることはできなかった、ということです。このことから分かることは、イエスさまは村の人たちに自分が癒しを行ったことを知らせる、表す、そういうことはなさらなかった、ということです。それではイエスさまが人々に知らせたかったこと、表したかったことは何だったのでしょうか?

(むすび)
目の見えなかった人が見えるようになりました。彼はこう言いました。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」。それはどんなに嬉しかったことでしょうか。心の底から喜んでいる様子が想像できます。ところでイエスさまが「何か見えるか」とお尋ねになったら、「人が見えます」と答えたのは印象的です。素晴らしい景色が見えます、とは言わないで、人が見えると言っているのです。
目の見えなかったこの人は自分のためにイエスさまのもとに連れて来てくれた人たちの愛の心を知りました。目の見えなかったこの人はイエスさまに出会って、神さまの愛の心を知りました。これらのことを通して、この人は人が見えるようになったのです。私は愛されている。そして、あの人も、この人も、神さまに愛されている一人一人なのだ。人は神さまに愛されている存在。そして、互いに愛し合う存在。そういう私たちは愛し、愛されることによって、本当に生きることができる。
イエスさまはこの目の見えなかった人にもう一度、両手を置いて、よく見えるように、はっきり見えるようにされました。私たちはどうでしょうか?生まれながらの私たちは人を本当には見えていなかった、理解していなかった、分かっていなかったのではないでしょうか。でも、イエスさまに出会っていくとき、見えるようになる。自分のことも、人のことも、少しずつですが、見えるようになっていくのです。私たちも日々、主に出会い、心の目が開かれるように癒していただきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
イエスさまに出会った一人の人の聖書の記事を読みました。目の見えなかった人、その人は自分の家族でしょうか、友人たちでしょうか、人々の導きによってイエスさまのもとに連れて来られました。そして、イエスさまはこの人に出会ってくださいました。
目に見えなかった人が見えるようになりました。イエスさまが見えるようにしてくださいました。彼は「人が見えます」と言いました。イエスさまによって心の目も開かれたのです。私は神さまに愛されている人、あの人、この人も神さまに愛されている人。そのことを知りました。
主よ、私たちの心の目も開かせてください。主を見上げることを忘れ、別な方向ばかりを見てしまい、心の目が閉じられてしまう私たちを助け、癒してください。そして、神さまに愛され、生かされていることの喜びへと導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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