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【週報巻頭言】2023年3月5日  あなたがたの中にある光(マタイ6章19~24節)

体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。(マタイ6章22、23節)

ここで言われている「目」というのは、「心の目」のことです。私たちの心の目は何を見ているでしょうか、どこに向いているでしょうか。それによって、その人の生き方は違ってきます。また、時に私たちの心の目が濁ってしまうこともあります。23節の後半には、とても気になる言葉があります。「あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう」。「あなたの中にある光」とありました。私はこの「光」というのは、信仰のことだと思います。もっと具体的に言うと、イエスさまとつながることです。ですから、光が消えるというのは、イエスさまとのつながりを断ってしまう、ということです。そうなると、「その暗さはどれほどであろう」とイエスさまは言われるのです。

イエスさまは、私たちとのつながりについて、お話しされました。ご自分がぶどうの木で、私たちはその枝であると言われました。

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ15章4、5節)

イエスさまは、ご自分につながっているように、と言われました。このつながり、それが信仰です。私たちの心の目がイエスさまに向いていくように。イエスさまにつながっているように。お互いのために祈っていきたいと思います。

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