【児玉振作名誉牧師召天記念礼拝】2023年3月26日「キリストに連なる不動の信仰」
説教者 岩波久一
聖書 ヨハネによる福音書 15章 1節~17節
1)児玉振作先生との出会い。
本日の特別記念礼拝、児玉振作名誉牧師召天記念礼拝にお招きいただき、心から感謝いたします。児玉先生が召されて、一周年、早いものですね。このような特別礼拝にお招きを受けて、児玉先生を覚えて、このように御言葉を語る機会を与えられたことを大変光栄に覚え、心から感謝いたします。
児玉振作先生と私は、年が、十歳違いまして、先生がお元気であれば、今年、98歳であります。私は、10歳年下ですから、現在88歳です。
児玉先生とは、長い間、御交わりを頂きました。思い起こしますと、児玉先生との最初の出会いは、私が神学生の時でして、ある日のことです。神学寮におりましたら、本学から、電話があり、電話を受けた先輩が、「岩波君、児玉先生が、君に会いたいと、本学で、待っておられますよ。すぐに行くといいよ。」との呼び出しでした。児玉先生とは、その時が、初めてお会いしたので、何の用事か、見当がつきませんでした。すると、先生は、お会いすると、即座に、「今度の冬休み、赤塚教会に来ないか。」とのことでした。「私は、何か用事があれば参ります。」と答えました。この時に、向山幸子さんとの出会いの場を作って下さった、先生の暖かい配慮の心遣いでした。そのことが縁になり、卒業後、私たちは、結婚しました。卒業前、神学校最終学年の夏休みの40日間、赤塚教会で夏季奉仕に招かれ、いろいろと教えていただきました。教会員の皆さんとも親しく御交わりを許されて楽しい奉仕の40日間でした。以来、卒業後も、児玉先生には、何かとお世話になり、又教えていただく時が多くありました。
特に、所沢市で開拓伝道に携わった時が、一番お世話になり、教えていただいた時でした。所沢伝道所は、浦和教会の伝道所として生まれた伝道所でして、私が小樽教会から所沢伝道所に赴任した時、最初の礼拝は、3名でした。その3名とは、浦和教会の執事さんと私と、伝道所の女性が一名、この3名の礼拝から、始まった開拓伝道でした。この所沢で25年間働きました。神様は恵みを与えてくださり、伝道所から教会へと成長させていただきました。
この25年間で、教会員が137名になり、礼拝は、出席者が100名を満たすほどになりました。しかし、その成長過程で様々な問題が起き、その問題を抱えながら、児玉先生のところへ、ご相談とご指導を頂くために、しばしば先生のところに行きました。「先生、こういう問題を抱えているのですが、どうしたらいいでしょうか。」と質問し、相談させていただき、教えをいただいて、その教えに従いながら、伝道し、牧会させていただきました。そんな関係で、児玉先生には、長いことお世話になり、信仰のお導きをいただいた関係にありました。
そんなことがありまして、先生の信仰、お人柄にも触れ、導びいていただいた先生を思うとき、児玉先生は、聖書の御言葉に深く根差した信仰者であり、どんなことにも、揺るがず、不動の信仰をお持ちの先生であるといつも思わされていました。本日の説教題は、「キリストに連なる不動の信仰」と題したのは、そのような先生を覚えてつけさせていただきました。私は、児玉先生には、心から安心して、何でもお話をし、ご相談出来た先生でした。私にとっては、牧師としての人生を歩む道を示してくださり、導いてくださった最も信頼できる先生であり、恩師でありました。そのような思いを心に秘めながら、本日の御言葉に触れてまいります。
2)児玉振作先生の信仰に教えられたキリスト者の在り方。
本日の聖書は、イエス様が、ご自分の死が近いことを自覚され、弟子たちと別れる前に言っておきたいと思い、十字架の死を意識して語られた決別説教のところです。それは、ヨハネによる福音書14章、15章、16章にわたるものです。その中の15章1節~17節を本日は、取り上げさせていただきました。
これから起きるイエス様ご自身の十字架の死が、迫っているわけですから、
14章1節の言葉、「心を騒がせるな、神を信じなさい。そしてわたしおも信じなさい。」と、先ず、語られました。イエス様のお気持ちがよくあらわされています。弟子たちに、これからどんなことがあろうとも、決して、心を騒がせず、父なる神がおられる中で全ては起きるできごとであり、そして、わたし(イエス)の上にどんなことが起きようとも、わたしを信じていなさい。と言われておるのです。しかし、弟子たちは、やがてイエス様が捕らえられ、十字架の刑をお受けになるとは、誰も考えることはできませんでした。
そのような中で、イエス様は弟子たちに語ります。14章において、父なる神と共に住まう場所を用意しに行く、即ち、信じる者がすべて住まうことができる神の国の用意をしに行く。と語ります。すると、弟子のトマスが、「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか、」と、問います。
するとイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と、明確にお答えになりました。弟子たちは、イエス様の言葉にどんなにか、良き指針を与えられたことであろうと思われます。
児玉先生がお元気で、良きお働きをされていたころ、先生のところに、若い牧師たちが、4人集まり、牧会研究会と称して、教会の様々な問題に対して、学び会を月に一度していた時がありました。私たちの質問に対して、児玉先生は、よく、このように言われました。「イエス様の道を探せ、人間的な知恵に走るな、」と言い、「良く祈り、これが主の御心であると、確信を持てるまで、祈ってから、問題に当たれ。」とよく言われました。イエス様の道であるならば、それは真理であり、良き結果を生み、豊かな命を必ずもたらすであろう。と、若い私たちを諭してくださいました。
私は、その言葉を聞き、安易な道を選ばず、困難であっても、主が示される道を選び、励むことに心がけました。その結果、良き方向に教会が動き、教会の成長に善き道が開かれたことを体験させていただいたことがありました。先生は、若い牧師であった私たちに安易な答えを出すことは、一度もありませんでした。
御言葉に忠実に生きておられた先生の信仰的体験が、確かな知恵となり、考えとなり、教会形成の大きな力となっておられたことと思いました。
それから、先生は、次の言葉を、大切にしておられました。それは、ヨハネによる福音書15章にみられる「ぶどうの木」の話から、「ぶどうの木である主イエスの御言葉から離れた技は、決して実を結ばない。」。「牧会上は、特に注意しなさい」。ともよく言われました。
15章4節、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。5節、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなた方は何もできないからである。」
「キリストにつながることによって生み出される可能性は大であるが、キリストから離れた枝は、決して実を結ばない。キリストから離れて、わたしたちは、何もできない、この言葉は真実である。」と、よく言われました。「この言葉の現実を深く認識する必要がある。このことは、決して忘れてはならない。」と。私たちは、その言葉をもって、よく諭されました。児玉先生は、ご自分の伝道・牧会の経験から、又、教会形成に対して、厳しく心していた言葉であり、そのことを実践されていたことと思われます。その頃、私たち、若い牧師たちに「困難な時ほど、御言葉に忠実に従い、生きなさい。」と、よく教えてくださいました。
3)児玉振作先生の信仰には、イエスの喜びがいつも心にあった。
いつも児玉先生の信仰の中心にあったものは、イエス様の喜びが、ご自分の喜びとして、生きておられたことを思います。そのことを最後に触れたいと思います。
児玉先生の伝道、牧会の姿勢は、主の御言葉に忠実であり、実に大胆であり、積極的でありました。しかし、慎重でもありました。主の御心であると信じたその行動は、スケールの大きい先生でした。伝道の働きに対しては、他の教会の牧師では、追従できない大胆さをお持ちの先生でした。そのように、私は、常々思わされていました。
児玉先生の牧師としての働き、40年間の歩みを見ますと。赤塚教会の40周年記念誌」の中に詳しく書かれております。児玉先生ご自身が書かれた巻頭言、「溢れる恩寵」の中に次のような言葉があります。引用します。
開拓当初から今日までのことが今一つ一つが、懐かしく思い出されてきます。2DKの借家の祈祷会から始まり、現在の赤塚の地に移って会堂が与えられ、40年になりました。毎年行われた特別伝道集会、野外礼拝、サマーバイブルキャンプ、クリスマス、夏期学校、新年礼拝、その一つ一つが感謝の連続でした。
1970年、米国テキサス州にあるアマリロ第一バプテスト教会とのパートナーチャーチ伝道、(アマリロクルーセード)から、外国伝道、国内伝道への具体的な伝道の目が開かれ、アメリカ、沖縄、台湾、韓国、北海道、仙台、名古屋、宮崎、福岡と毎年のように伝道隊を派遣することができました。この間、教会堂への必要に迫られ、3回にわたる建築、増改築が行われました。又、沖縄・礼邦バプテスト教会、新東京黎明バプテスト教会、ふじみのバプテスト教会を生み出すお手伝いもできました。(*伝道40周年記念文集・40年の恵みを感謝し主の救いを伝えよう、巻頭言、4頁)
以上の児玉先生自身の言葉にありますように、1959年から、2001年3月までの40年間の働きは、神様のお導きのなかに、大きな恵みに預かった赤塚教会の姿を見ることができます。
この40年間の赤塚教会の教勢の伸びを見ますと、バプテスマを受けた方が、528名、転入会された方が、160名、合計すると教会員になられた方が688名となります。
この数字が生み出されたのは、児玉先生初め、赤塚教会の教会員の皆さんの祈り、伝道に対して、教会が一致して、伝道活動に励まれた徴であると言えます。その伝道の働きの一つに、アメリカのテキサスにあるアマリロ第一バプテスト教会と深い交流を持ち、アマリロ第一バプテスト教会から、53名の伝道隊を迎え、そのあと、今度は、赤塚教会から53名の教会員が、伝道隊としてアメリカへ送るという、日本国内の教会では、ありえないことが行われていたのです。
その信仰は、赤塚教会の教会員の皆さんと、児玉先生とが心を一つにして、祈り、生まれた伝道の働きと言えましょう。その伝道の働きが、大きな力ともなり、赤塚教会が大きく成長し、教勢が増し加えられた大きな要因であったと言えましょう。
教会の活動の中心におられた児玉先生ご夫妻の信仰とその働きには、心すべき、大きな力がひそんでおられたと思います。
その心すべき、児玉先生の信仰の根底には、イエス様が、十字架を前にして、弟子たちに語られた決別説教の言葉に、イエス様ご自身が語る「わたしの喜び」と語る言葉があります。児玉先生の信仰の喜びには、そのイエス様が語る「わたしの喜び」の信仰が、心の内にいつも深く秘められていたのではないか、その信仰から、生み出される伝道への意欲が、先生のお働きを豊かなものにしていたのではないかと、私には思えるのです。イエス様ご自身が語る「わたしの喜び」が、児玉先生の信仰の内に絶えず秘められていたのではないかと思われます。
イエス様は、ご自分の十字架が、近づき、迫っているとき、そのことを自覚しておられ、弟子たちに対して、決別説教をされました。その中で、イエス様は、弟子たちに、次のように話されたのです。15章11節、「これらのことを話したのは、わたしの喜びが、あなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである。」ここで語るイエス様ご自身が「わたしの喜び」、と語った言葉は、どんな内容を秘めておられたのか、それは、イエス様ご自身が、これから受けようとされている「十字架における死、そして復活の恵み、」この二つが、一つとされている喜びであると言えます。このイエス様の喜びが、児玉先生の内にも秘められていた。と思うのです。
これからのことは、わたしの推測でありますが、先生は、何時いかなる時も、牧師としての生活、またその信仰とその言葉においても、あまり揺れ動くことは見られませんでした。そのように、いつも私は感じていました。児玉先生は、イエス様の言葉に秘められた「わたしの喜び」、即ち、「十字架と復活」における「不動の信仰」が与えられ、その喜びと信仰をもって、牧師としての人生を貫いておられたように、わたしには、思えるのです。
その「不動の信仰」をもたらしていた信仰とは、イエス様が、十字架の死を心の内に秘めながらも、弟子たちに語る「わたしの喜び」は、神の子として生きる使命達成に向かって生きる喜びです。イエス様ご自身の喜びが、先生ご自身の内に常に喜びとなっており、何事にもひるまず、伝道・牧会に尽くされていたのではないかと思えるのです。
イエス様のその喜びとは、イエス様ご自身が、ご自分の使命を全うするために父なる神のみ旨に添う歩みをされた。それは、例え、十字架の苦しみを受けたとしても、すべての人の罪を赦す業に仕え、その使命を果たすこと、それは父なる神のみ旨に添って生きることであります。その使命を達成するためには、十字架への道、十字架における死、贖罪を歩むことは、神の愛の実現であります。
その十字架の死は、全ての人を救うために、贖罪の業、罪の赦しを完成し、神との和解を成就させることであります。そして復活の恵みに預かる、その喜びが、何時もイエス様の心にはあった。それが、イエス様ご自身が語る「わたしの喜び」です。明らかに十字架の死と復活の恵みに預かる喜びを意味しているのであります。イエス様ご自身が、「わたしの喜び」と言うときは、十字架の苦しみと復活の恵み、その二つが、内包されていた喜びであると言えます。その喜びは、イエス様が、弟子たちに語られた言葉、「わたしについて来たいと思う者は、自分の命を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」
この言葉は、イエス様ご自身が、十字架において、わたしたちに示された生き方でした。イエス様は、父なる神から託された神の子としての使命、救い主としての使命、それは、十字架の死による贖罪の完成、全ての人の罪を赦し、神との和解の道を開き、全ての人々の救いの道を開くことであったのです。
それはイエス様にとって最大の痛みと苦しみを与えるものでありますが、ご自分の使命達成のために生きることは、イエス様ご自身の喜びでありました。
もし、その喜びが、その人の信仰とその心に満たされていれば、どんな困難に会うときも、どんな苦しみに会うときも、おびえることなく、恐れることなく、不動の姿勢で、全てのことにあたることができます。その信仰が児玉先生の伝道の姿に見えたのです。それゆえ、児玉先生の信仰は、イエス様が語る、イエス様ご自身の「喜び」と、同じ「喜び」を心の内に深く秘めておられたのではないか。」私にはそう思えるのです。
イエス様は、十字架にて召されることを意識して、弟子たちに語られました。
「これらのことを話したのは、わたしの喜びが、あなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである。」(ヨハネ:15:11)
イエス様の喜びは、十字架の痛み、苦しみと復活の恵みが、一つになっている喜びです。イエス様においては、十字架の痛みと苦しみを受けることは、父なる神のみ旨であり、その使命を達成できる喜びであり、復活は、神の子として永遠に神と共に生きる喜びであります。
イエス様が、ご自身の十字架と復活に関して予告したとき、弟子たちに言った言葉があります。
マタイによる福音書16章24節~25節。それから弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」。
児玉先生は、この言葉、「自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。」との言葉をご自分に示された神の愛と深く覚え、恐れることなく、喜びをもって、受け入れ、牧師としての人生を歩まれたのであろう。と、私には思えるのです。
使徒パウロは、信仰における苦しみと戦いについて、次のように告白しています。ローマの信徒への手紙 5章1節~5節。
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており.このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りとしています。そればかりではなく、苦難をも誇りとしています。私たちは、知っているのです。苦難は、忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを、希望は、わたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって神の愛が、わたしたちの心に注がれているからです。」
児玉先生は、76歳まで、お元気で、現役として働かれました。その人生は、神の恵みに導かれた人生でありました。多くの恵みの内には、辛いことも、苦難をも経験されたことと思います。しかし、その苦難をも誇りとし、同時に、神に愛されていることを深く覚え、主イエスと共に生きる感謝と喜びに満たされていた生涯を生きられたことと思います。児玉先生は、最後まで、赤塚教会と教会員の皆さんを愛しておられました。
天国から、赤塚教会の皆さんを見ておられ、石堂先生ご夫妻を中心にして、皆さんは、神から愛されているのですから、生き生きとした信仰と、喜びをもって伝道をし、教会形成に励んでくださいね。と。言っておられるような気がします。
皆さんと共に児玉振作先生を記念した礼拝に預かることができましたことを心から感謝いたします。
この記事へのコメントはありません。