【週報巻頭言】2023年4月30日 勇気を与える主の言葉(マルコ15章42節~16章8節)
アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。(マルコ15章43節)
アリマタヤ出身のヨセフは、ユダヤ人たちを恐れて、自分がイエスさまの弟子であることを隠していました(ヨハネ19章38節)。しかし、主が十字架にかかり、死なれた時、彼は勇気を出して、イエスさまの遺体を引き取ることを公にしたのです。遺体を引き取るということ、それは、自分がイエスさまの弟子であるとか、親しい存在、関係者であるということを明らかにするということです。どうして、勇気を出すことができたのでしょうか。同じ43節には、「この人も神の国を待ち望んでいたのである」と書かれています。アリマタヤ出身のヨセフは、神の国を待ち望む人でした。今まで、ユダヤ人たちを恐れていた。人の目を恐れ、気にして、イエスさまの弟子であることを隠していた。けれども、彼に勇気が与えられたのです。彼に勇気を与えたのは、神の国を待ち望む信仰です。イエスさまの公生涯、福音宣教の第一声はこのような言葉でした。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)。神の国とは、天の国、天国のことです。天国というと、私たち人間が死んだら行くところと考えます。しかし、聖書は、「神の国は近づいた」とありますように、天国が私たちに近づいてくる、というのです。天国がやって来た。これはどういうことかというと、救い主イエスさまが私たちのところにおいでになった、ということです。
アリマタヤ出身のヨセフは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。このイエスさまの言葉を思い出したのです。この私のために、イエスさまがおいでになった。そのことを思い起こしたのです。それで、彼は勇気を出して、イエスさまの遺体を引き取ること、つまり、自分がイエスさまの弟子であることを公に表したのです。イエスさまの言葉が彼に勇気を与えたのです。
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