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【礼拝説教】2023年4月30日「主の道を歩もう」

2023年4月30日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「主の道を歩もう」詩編25編1~22節

聖書―詩編25編1~22節
(はじめに)
 お読みしました聖書の個所は、詩編25編です。最初の1節の言葉をお読みします。
25:1 【ダビデの詩。】主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
 詩編25編は、「ダビデの詩」とありますように、イスラエルの王ダビデの詩、あるいは、ダビデのことをうたった詩と言われます。お読みしましたように、ダビデは、「主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み」と言いました。ダビデは、神さまに、こう呼びかけています。神さま、私の魂、これは、心ということです。私の心は、神さまを仰ぎ望みます。
 仰ぎ望む、とは、どういうことでしょうか?昨日から、ゴールデン・ウイーク、大型連休が始まりました。皆さんの中には、ご家族で出かける人もいるでしょう。東京の都会の中に住んでいる人は、自然の豊かなところに行かれるかもしれません。大きな、高い山のあるところで、山を見る時、仰ぎ見る、と言います。仰ぎ見る、それは、高い山のある方を、上の方を見つめていく、ということです。「わあ、大きいなあ!高いなあ!」と感激するかもしれません。
 神さまを仰ぎ見る。これは、どういうことでしょう?山を仰ぎ見るようにして、見ることができるでしょうか?いいえ、残念ながら、神さまは、私たちの目で見ることはできません。それでは、ここに書いてある神さまを仰ぎ望む、というのは、どういうことでしょうか?私たちは、神さまを、この目で見ることはできませんが、心の目で見るのです。
 リビングバイブルという、とても分かりやすく訳した聖書があります。リビングバイブルでは、このように書かれていました。
25:1ああ主よ、あなたに祈ります。
 神さまを仰ぎ望む、神さまを仰ぎ見る。それは、私たちにもできるのです。神さまを仰ぎ望む、仰ぎ見るとは、お祈りする、ということです。神さま、私はあなたを心の目で仰ぎ見ています、お祈りしています、ということが言われているのです。

(聖書から)
 そういうわけで、ダビデの祈りの言葉が、ここに書かれています。2、3節をお読みします。
25:2 わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように/敵が誇ることのないようにしてください。
25:3 あなたに望みをおく者はだれも/決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
 神さま、私はあなたに依り頼みます、と祈りました。依り頼む、というのは、信頼する、ということです。神さまを信頼する人、神さまに望みをおく人、その人の人生は、恥ずかしい人生ではありません!ということです。私たちの人生は、実際には、恥をかくようなこと、恥ずかしいことがいっぱいあると思います。でも、神さまの目から見たら、私たちの人生は、ちっとも恥ずかしいことはありません。神さまが与えてくださった人生です。失敗することがあるでしょう。恥ずかしい思いをすることもあるでしょう。でも、神さまは私たちと一緒に歩んでくださっています。だから、大丈夫なのです。ダビデは、自分の人生を振り返って、苦しいことや辛いことがあったけれど、神さまが守ってくださった、と言っているのです。
 そして、ダビデが、神さまにひたすら求めたことがこの後、4節以下に書かれています。
25:4 主よ、あなたの道をわたしに示し/あなたに従う道を教えてください。
 ダビデが、神さまに求めたものは何だったでしょうか?神さまに、このように祈っています。「あなたの道をわたしに示し/あなたに従う道を教えてください」。「道」という言葉が出てきます。「道」というと、皆さんは、スポーツ、習い事を思い起こすかもしれません。武道、武道というと、柔道、剣道などあります。書道、華道もあります。ダビデは、神さまに、神さまの道を示してください、教えてください、と祈りました。
 武道や書道、華道は、自分勝手にやっても身につきません。教えてくださる先生、師匠の教えに従って、倣って、身についていきます。信仰も同じです。ダビデが、神さまに、あなたの道を示してください、教えてください、と祈ったように、私たちも、私たちの神さま、神さまのみ子であるイエスさまに、あなたの道を示してください、教えてください、と祈るのです。そういう私たちに、神さまが、ご自分の道が分かるように、与えてくださったのが、皆さんのお手元にある聖書です。聖書は神さまの言葉です。神さまは、聖書を通して、私たちに人生の道を案内してくださいます。
 次に7節以下をお読みします。
25:7 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず/慈しみ深く、御恵みのために/主よ、わたしを御心に留めてください。
25:8 主は恵み深く正しくいまし/罪人に道を示してくださいます。
25:9 裁きをして貧しい人を導き/主の道を貧しい人に教えてくださいます。
25:10 その契約と定めを守る人にとって/主の道はすべて、慈しみとまこと。
25:11 主よ、あなたの御名のために/罪深いわたしをお赦しください。
 7~11節までお読みしました。この中で、繰り返し出てきた言葉は何だったでしょうか?「罪」という言葉です。7、8、11節に出てきました。「罪」とは、何でしょうか?「罪」とは、「的外れ」という意味です。罪とは、神さまという的を外す、ということ、神さまから離れている、ということです。
 ダビデは、このように祈っています。「わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず」(7節)。ダビデは、自分が若い時に、神さまから離れるようなこと、神さまが喜ばれず、悲しまれるようなことをしてきたことを思い出したのです。そして、「罪深いわたしをお赦しください」(11節)とありますように、そのことを赦してください、神さま、ごめんなさい、と謝っているのです。信仰生活で大事なことは、まず、自分の罪を認めることです。そして、罪を神さまに謝ることです。神さまは私たちを赦してくださいます。
 8節に「主は恵み深く正しくいまし/罪人に道を示してくださいます」とありました。神さまは恵み深い方、正しい方です。私たちの罪を赦してくださり、私たちに神さまの道を示してくださいます。ここで、ダビデは、「罪人に道を示してくださいます」と言っていますが、これは、自分自身のことを言っているのです。私は神さまの前には、神さまの目には一人の罪人です。でも、そういう私を神さまは赦してくださって、神さまと一緒に歩んでいくことができるように、神さまの道を示してくださいます、と言っているのです。
 12~14節をお読みします。
25:12 主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。
25:13 その人は恵みに満たされて宿り/子孫は地を継ぐであろう。
25:14 主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる。
 ここには、「主を畏れる人」(12、14節)という言葉が出てきます。おそれる、というと、恐怖の恐れの方を連想する方がいるかもしれません。神さまは恐ろしい!神さまを信じないと、罰が当たる!神さまというと、そんなふうに考える方があるかもしれません。しかし、ここで神さまをおそれる、というのは、畏怖の念、畏れ敬う、という方の畏れです。神さまは恐ろしい、ではなく、神さまは素晴らしい。そういう意味の畏れです。
 先ほど、読んだ聖書の言葉に、神さまは恵み深く、正しい方(8節)とありました。神さまは愛の方です。私たちの愛というのは、皆さん、自分でもよく分かると思いますが、本当に小さな愛です。なかなか人を赦すことができません。何と心が狭いのだろう!愛がないのだろう!時々、私は自分の愛の無さに、がっかりすることがありますが、神さまは、私たちの小さな愛よりもはるかに大きな愛の方です。その愛で、私たちの罪を赦し、私たちを神さまと一緒に歩んでいくことができるように、神さまの愛に倣って生きていくことができるように、導いてくださいます。だから、神さまは素晴らしいのです。神さまは何と素晴らしい方なのでしょう!神さまに心からの賛美をささげ、神さまを畏れて歩んでいきましょう。

(むすび)
 15節の言葉をお読みして終わりたいと思います。
25:15 わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。
 「いつも主に目を注いでいます」とありました。いつも、ということが大事です。時々、神さまに目を注ぐ。日曜日だけ、神さまに目を注ぐ、というのではなく、いつも、神さまに目を注ぐのです。今日のお話の中で、神さまを仰ぎ望む、仰ぎ見る、ということ、それは、神さまに祈ることだ、と言いました。ここでもそうです。いつも神さまに祈るのです。
 皆さんは、聖書の中で、自分の愛唱聖句と言えるもの、ありますか?ある方は、私はこの聖書の言葉が好きです。この言葉を何かあったら、いつも唱えます、と言われました。その聖書の言葉は、テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節です。
5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
 この言葉の中に、「絶えず祈りなさい」とありました。先ほどの15節の言葉と似ています。「わたしはいつも主に目を注いでいます」。絶えず、いつも、神さまに祈っていきましょう。15節の後半には、このようなことが書かれていました。「わたしの足を網から引き出してくださる方に」。網というのは、魚を捕る時に使う道具です。魚が網にかかったら、漁は成功ですが、ここでは、良い意味で言われているのではありません。ここで言われている網というのは、罠のことです。私たちの人生には、絶えず、罠があるのです。罪の罠です。ですから、気をつけていなければ、その罠にかかってしまいます。罠にかからないためには、ダビデが言いましたように、「わたしはいつも主に目を注いでいます」、いつも神さまに祈ることです。神さまを見ないで、自分のことばかり、人のことばかり見ていたら、罪の罠にかかります。でも、神さまを見るなら、神さまに祈るなら、神さまは私たちを罪の罠から守ってくださいます。私たちが罪から守られ、神さまの愛に生きることができますように、お互いのために祈り合っていきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 詩編の言葉を読みました。ダビデ王の祈りの言葉です。ダビデは、自分が神さまの前には、一人の罪人に過ぎないこと、そういう自分の罪を赦してくださり、神さまの道を教えてくださる恵みを祈っていました。
 私たちも、神さまの言葉をいただき、神さまに祈り、神さまがどんなに恵み深い方であるか、正しい方であるかを知ることができますように。そして、神さまを心から賛美して歩む者としてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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