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【週報巻頭言】2023年6月18日 復活を信じる(一コリント15章12~19節)

私は、入信して間もない時、復活ということについては、イエスさまを信じていながらも、なかなか信じられない、ということがありました。復活は、事実ではないだろう。イエスさまという素晴らしい神の人が私たちのために十字架につけられて死んだ。その思い出をずっと忘れないで、イエスさまの生きざま、遺志に従っていく。それが復活ということだ。そんなふうに考えていたこともありました。

一コリント15章14、15節には「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです」とありました。一言で言えば、復活がなければ、イエスさまを伝えている人、イエスさまを信じている人というのは、嘘つきということになります。しかし、ここでパウロは、私は復活を信じている。私が伝えていること、信じていることは決して嘘ではない、と言っていると思います。

そして、19節には、「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」とあります。

復活はない、というならば、そういう信仰というのは、どういうものになるでしょうか?「この世の生活でキリストに望みをかけているだけ」とありました。生きている時だけ、役に立つ神さまということでしょうか?一般的に言われるご利益信仰、宗教というものでしょうか?しかし、パウロは、そんな信仰、宗教なら、私たちはすべての人の中で最もみじめな者だ、と言っているのです。

これらの聖書の言葉から、私は、パウロが、本気でキリストの復活、死者の復活を信じていたことを知らされ、私もこのパウロの言葉、証言と言ったらよいと思いますが、この言葉を信じていこう、この言葉に賭けていこうと思ったのです。

復活というのは、人間の常識、考え、思いをはるかに超えた出来事です。科学的に証明することはできません。復活を信じた人たちは、復活を語る聖書の言葉を信頼して、受け入れていったのです。イエスさまは、ご自分の復活を信じられなかったトマスに自ら現れてくださり、語られた言葉はこういう言葉でした。「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20章29節)。見ないで信じる信仰、神さまが言われたこと、神さまがなさったことは本当だ、と信じる信仰、イエスさまが私たちに求めておられる信仰はこの信仰だと思います。

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