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聖書が示す救い(ヨハネ3章16〜21節)

ルカによる福音書15章は「『放蕩息子』のたとえ」と言われるよく知られた例え話があります。自由を求めて、父親から財産をもらい、旅立って行った息子。自分の好きなように生きていきましたが、行き詰まってしまった。その時、自分には帰るところがあることに気づきます。ルカ15章17節に「そこで、彼は我に返って」とあります。我に返る。今まで、自分を見失っていた。我に返る。本当の自分を取り戻した。自分の本当の姿を知る。そして、生き直す。これが聖書が示す悔い改めということです。一方、この息子の父親の様子が20節に記されています。「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。ここに「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」とあります。父親から離れていた息子。でも、父親は息子が帰ることを今か今かと首を長くして待っていた様子が分かります。そして、父親の方から息子に走り寄って来た、というのです。
放蕩三昧の息子はもう自分には帰るところはないかもしれない。父親は受け入れてくれないかもしれない。そういう恐れと不安を持ちながら、家に帰ったら、父親が喜んで、走り寄って迎えてくれた。息子はこう思ったことでしょう。「ああ、僕にも帰るところがあったんだ!」。帰って来た息子を喜び、父親は祝宴を始めます。この時の父親の言葉がこのように記されています。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」(ルカ15章24節)。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3章16節)。神様はだれ一人滅ぶことを望んではおられないのです。神様はだれ一人も失いたくはないのです。「一人も滅びないで」というのは、神様の願いです。一人も失いたくない。私のもとに帰って来てほしい。戻って来てほしい。
 救いというのはどういうことでしょうか?何か心がホッとすること。目の前の問題が解決すること。それが救いでしょうか?聖書が示す救い、それは私たちをお造りになり、私たちを愛しておられる神様のもとに帰るということ。そして、その神様と共に生きるということ。それが聖書が示す救いです。

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