「収穫の主に願いなさい」マタイによる福音書9章35~38節 2023/11/12 SUN. 赤塚教会礼拝説教
2023年11月12日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「収穫の主に願いなさい」
聖書―マタイによる福音書9章35~38節
(はじめに)
お読みしました聖書の中に、イエスさまの働きの様子が書かれていました。35節をお読みします。
9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
マタイによる福音書の4章から、イエスさまが福音を宣教されたことが書かれています。その章の23節には、このようなことが書かれています。
4:23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
9章に書かれていたこととほとんど同じ内容です。イエスさまの福音宣教というのは、会堂で教えられたこと、御国、これは天の国、あるいは神さまの国ということです。御国の福音を宣べ伝えられたこと、そして、人々の病気や患いを癒されたことだということです。
「町や村を残らず回って」、「ガリラヤ中を回って」とありました。この言葉を読むと、今日の朝の礼拝に出席されました国際ギデオン協会の働きを思います。国際ギデオン協会は、ホテルや病院、学校などに聖書を贈呈するという働きをされています。先月、ギデオン協会の方々と打ち合わせをした時にも、その日に、二つの学校で聖書を贈呈して来られたことをお聞きました。
また、以前、もう天に召されましたが、誠志会病院の岡田信良先生、常盤台教会の栗山秀男さんが何度か、私たちの教会においでになって、ギデオン協会の働きについて、証しをしてくださいました。後になって、岡田先生たちが、東武東上線の下赤塚駅の前でも、聖書を贈呈しておられたことを聞きまして、私はとても励まされました。
聖書を受け取られた方々が、聖書を開いて、イエスさまの福音に触れ、さらには、キリスト教会へと導かれますように、私は心から願っています。国際ギデオン協会の働き、それは日本中、世界中のキリスト教会の縁の下の力持ち、協力伝道であると思います。どうぞ、皆さんもそのことを理解していただき、この働きのためにお祈りしていただきたいと思います。
(聖書から)
さて、今日の聖書に戻りますが、イエスさまは福音宣教にお励みになりました。なぜ、福音宣教に励まれたのでしょうか?その理由が、次の36節に書かれています。
9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
この言葉から分かることは、イエスさまは群衆をご覧になった、ということです。群衆をご覧になると、彼らの様子はこのようなものでした。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て」。
「飼い主のいない羊」とあります。聖書から知らされることは、私たち人間のことを、聖書は羊に例えているということです。羊という動物、皆さんはどんな動物だと思いますか?たぶん可愛らしいというイメージがあると思います。私たちが羊を見ることができるのは、動物園でしょうか。羊という動物に、たくましいとか、強いというイメージはないと思います。ここに「飼い主のいない羊」とありましたが、羊は飼い主がいないと生きていくことができない動物なのです。
羊の「飼い主」。羊飼いのことです。羊飼いということで聖書の中でよく知られているのは、詩編23編の言葉です。最初の方の1~3節を読んでみます。
23:1 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
おそらくこの詩編の詩人は自分のことを羊であると自覚していたのでしょう。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と言っています。「わたしには何も欠けることがない」。リビングバイブルでは、「必要なものはみな与えてくださいます」と訳されています。神さまは私の羊飼いです。神さまは私が生きるために必要なものを与えてくださるお方というのです。
私を生かしてくださる、養ってくださる神さま。ところが、今日の聖書には、「飼い主のいない羊」とあります。羊を生かし、養うはずの羊飼いがいないように見えた。それは羊である群衆にとって、自分たちを生かしてくださる、養ってくださる羊飼いである神さまを見失っている状態ということです。
私たち人間が神さまを見失うとどうなるか、ということが、ここに書いてありました。「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」。私たちが神さまを見失っていると、弱り果て、打ちひしがれてしまうのです。
「いいえ、そんなことはありません!」と力強く反論する方があるかもしれません。「神を知らなくても、神を信じていなくても、元気に生きている人はたくさんいる!」確かにそうかもしれません。しかし、ここで注意したいのは、私たちの目から見て、人間の目から見て、ということではないのです。イエスさまがご覧になると、イエスさまの目から見ると、神さまを見失っている人たちが弱り果てていた、打ちひしがれていた、ということです。
この聖書の言葉から、私たちが教えられることは何かというと、私たちもイエスさまの目から見るということ、私たちもイエスさまの視点を持つということです。しかし、イエスさまの目で見ることがなかったら、イエスさまの視点を持つことがなかったら、私たちは、何が問題なのか分からない、何が欠けているのか気づかないのです。だから、人々にわざわざ福音を伝えなくてもいいのではないか、家族に福音を伝えなくてもいいのではないか、ということになってしまうのです。
先月、礼拝でエフェソの信徒への手紙からお話ししました。この書の1章17節以下を読んでみます。これはパウロの祈りの言葉です。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
お読みした聖書の言葉の中に、「心の目を開いてくださるように」とありました。新しい聖書協会共同訳では、「心の目が照らされ」となっていました。つまり、神さまは私たちの心の目が神さまの恵みを見ることができるように、照らしてくださるというのです。けれども、神さまの恵みがどれほどのものなのか、そのことが見えないなら、分からないなら、私たちは福音を伝えようとは思わないでしょう。私たちが福音宣教の心を失っている時というのは、神さまの恵みを見失っている時、神さまから与えられた救いを忘れてしまっている時です。
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」状態。それは、仕事がうまくいかないとか、勉強がうまくいかないとか、そういうことではないのです。神さまを見失い、神さまの恵みが見えず、分からず、自分の罪にも気づかず・・・という状態のことが言われているのです。自分では、弱り果てているとか、打ちひしがれているなどとは思っていない。自分の本当の状態、姿には気づいていない。そういう一人一人のことをご覧になり、イエスさまは「深く憐れまれた」というのです。「深く憐れまれた」という言葉は、「腸がちぎれる想いに駆られた」(岩波訳)とも訳されます。断腸の思いということです。
(むすび)
イエスさまは、人々の様子をご覧になって、「深く憐れまれた」。これが、イエスさまの福音宣教の理由、動機です。私たちの本当の姿をご覧になって、心を痛められ、福音を宣べ伝えられたのです。イエスさまは続いて、こう言われました。
9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
「収穫は多い」と言われました。それは、「弱り果て、打ちひしがれている」人たちがたくさんいる、ということです。その人たちが神さまに出会うために、働き手が必要であると言われ、弟子たちにそのことを祈るように言われました。弟子たちの中には、「この私を福音宣教の働き手として用いてください」と祈った者もいたでしょう。「私には無理です。私ではなく、あの人を」と祈った者もいたかもしれません。私たちは、この聖書の個所から、何を聴くでしょうか?私たちもイエスさまが言われたように、収穫のために、福音宣教のために、働き手を送ってください、と祈っていきたいと思います。祈りの中で、あなたも私と一緒に福音を宣べ伝えよう、とイエスさまからの語りかけを聴くことができたら幸いです。
祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
羊は羊飼いがいなければ、生きていくことができない動物だと聞きます。私たちも同じです。神さまが一緒に歩んでくださらなければ、生きていくことができない者です。しかし、主に出会うまで、そのことに気づかないでいました。そういう私たちの心の目を開かせてくださり、神さまの恵みに気づかせてくださったこと、救いの喜びに気づかせてくださったことを感謝します。
「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」と主は言われました。そして、祈っていた弟子たちが主によって用いられていきました。私たちも小さな者ですが、主がよしとされるならば、私たちを用いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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