イエスさまが蒔き続けてくださる(マタイ13章1~23節) 【週報巻頭言】2024年9月22日
「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。・・・良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」(マタイ13章18~23節)
私たちは、種を蒔く人のたとえ話をどのように聞くでしょうか?このたとえで語られている種というのは、福音のこと、イエスさまの言葉、聖書の言葉と理解することができると思いますが、自分は果たして、福音を素直に受け入れてきただろうか?道端に蒔かれた種の話、石だらけの所に蒔かれた種の話、茨の中に蒔かれた種の話のようなことをしてきたのではないだろうか?と反省することばかりになってしまうのではないかと思います。それはそれで、自分の信仰の在り方を点検すること、吟味することで、大切なことだと思いますが、私たちはそこで留まらないで、このたとえの四番目の話に耳を傾けたいと思うのです。
「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである」。私たちは、道端、石だらけの所、茨の中のような者ではありません。私たちは、良い土地なのです。なぜ、そのようなことが言えるのかというと、イエスさまが、私たちを耕してくださるからです。私たちは、初めは道端のような、石だらけの所のような、茨の中のような者だったかもしれません。けれどもイエスさまは、そういう私たちをあきらめないで、根気よく、忍耐強く、種を蒔き続けてくださっているのです。み言葉によって私たちの心を耕し続けてくださっているのです。種を蒔く人、それは、イエスさまのことです。イエスさまが蒔き続けてくださっている種、語り続けてくださっている福音、それは私のための福音なのだ。そのことに気づいて、この福音を受け取っていく時、私たちは、ここに語られているように、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶのです。
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