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主は待っておられる(マタイ13章24~43節) 【週報巻頭言】2024年9月29日

「毒麦のたとえ」に出ていた僕たちは、毒麦について、主人にこう言いました。「では、行って抜き集めておきましょうか」(28節)。しかし、主人はこう答えました。「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」(29、30節)。刈り入れまで待つように、と主人は言いました。刈り入れとは、世の終わりのことです(39節)。世の終わりとは、終末、神さまがすべてを裁かれる時のことです。その時まで、待つようにと言われました。

このことは私たちに何を示しているでしょうか。第一に、早急な裁きをしてはいけないということです。第二に、裁きは神さまのものだということです。そうであるのに、私たちは、自分がまるで神さまのようになってしまう、裁き主になってしまうことがあるのではないでしょうか。毒麦を抜こうと考えた僕たちでしたが、この僕たちは、すぐに自分たちで抜いてしまうことはしませんでした。このことについて、主人に尋ねています。毒麦を抜きましょうか、どうしましょうか。自分で決めてしまわないで、まず、私たちの主である神さまに聴くということが大切です。 私たちは、神さまだけが裁き主であるのに、自分が神さまになり代わり、裁き主になってしまい、自分が他人を裁いてしまう。そればかりか、自分で、自分のことも裁いてしまう・・・。しかし、イエスさまは、このたとえを通して、自分で裁いてしまわないように、自分で結論を出してしまわないようにと示されたのです。裁きは神さまのものです。私たちは早急な裁きはしてはならないのです。すべてを主に尋ね、主にゆだねていくのです。

主は早急な裁きや結論を出さないで、終わりの日があることを信じて、待つように、主にゆだねるようにと示されました。また主は、私たちが「待つ」ことを求められただけでなく、神さまご自身が、「待つ」ということ、神さまご自身が、私たちを待っておられるということをも示しておられます。主人である神さまは、良い麦も一緒に抜くかも知れないから、と言って、僕に毒麦を抜くことをやめさせました。そして、両方とも育つままにしておくように言われました。それは、神さまが、私たちを待っておられることを示しているのです。神さまは、どの麦も大切にされる。私たち一人一人を大切にされる。私たち一人一人のことをおぼえてくださり、忍耐して、ご自分のもとに立ち返る日を待っておられる。この神さまの愛、神さまの忍耐を知る私たちは、それに応えて、自分に与えられた主の救いを感謝し、喜び、友の救いのために祈り、主を伝えてまいりましょう。

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