イエスさまの故郷、イエスさまの家族(マタイ13章53~58節)【週報巻頭言】2024年11月3日
イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、13:58 人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。(マタイ13章57節)
「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」。イエスさまの故郷であるナザレの人たちは、自分たちは、イエスさまの子供時代を私たちは知っている。あの小さな子供が神さまの言葉を語るなんて、神さまのみわざを行うなんてありえない!と考え、イエスさまが、神さまの言葉を語られたのを聴いても、イエスさまが、神さまのみわざを行われるのを見ても、イエスさまを神の子、救い主とは信じませんでした。ある牧師先生は、このイエスさまの言葉から、このように言われました。「人々は、自分の故郷に、イエスさまを迎え入れなかった。自分の家族に、イエスさまを迎え入れなかった」。
ある時、イエスさまは、ご自分の弟子たちにこのようなことを言われました。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12章49、50節)。この時、イエスさまの母と兄弟たちが、イエスさまと話したいと外にいました。それで、ある人が、イエスさまに、あなたの母と兄弟たちが話したいと外にいますよ、と言ったのです。それに対して、イエスさまは、このように言われました。「わたしの天の父の御心を行う人」。それは、神さまのみ心を受け入れる人、神さまのみ子であるイエスさまを受け入れる人のことです。その人は、イエスさまの家族なのです。イエスさまは、ナザレに帰られて、ここは私の故郷、この人たちは私の家族、そのように言いたかったのではないでしょうか。けれども、人々はイエスさまを受け入れなかったのです。
私の故郷、あるいは私の住んでいる地、そこは、イエスさまの故郷、イエスさまの住んでいる地。私の家族、それは、イエスさまの家族。イエスさまはここにおられる。イエスさまが一緒におられる。そのことを信じていく時、そこで私たちは、神さまの知恵と奇跡の力、神さまの愛のみわざを知ることができる、体験することができるのではないでしょうか。
この記事へのコメントはありません。