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神様の恵みの証し(創世記23章1〜20節)

アブラハムは創世記23章16節にありますように、銀四百シェケルで妻サラの墓地のための土地を購入しました。「差し上げます」(11節)、と言っているのに、銀四百シェケル、それはどれだけの価値か分かりませんが、大変高額であったそうです。それはアブラハムの気持ち、いいえ信仰です。少しでも安く上げよう。そういうことではなく、9節のアブラハムの言葉にもあったように、「十分な銀をお支払いします」ということを行ったのでした。ここではアブラハムはサラの墓地のためということでしたが、この後、ここはアブラハム、イサク、ヤコブも葬られることになります。アブラハムは神様が私に約束してくださったように、私に子供を、子孫を与えてくださる。神様の恵みに対する証しとして考えたのではないでしょうか。
 アブラハムのヘトの人々、エフロンに対する態度、振る舞い、それはその厚意や優しさに甘んじるというものではありませんでした。然るべき費用を支払って、妻サラを葬る場所を確保しました。私はこの時のアブラハムについて、福音書に記されています香油の記事、イエス様のために香油を注いだ女性の記事を思い起こしました(マルコ14章3〜9節参照)。高価な香油をイエス様のために使った女性のことをある弟子は無駄遣いと言いました。しかし、その女性にとっては、イエス様のために、ということは何にも増して価値のあることでしたから、イエス様のためにその香油を使ったのです。アブラハムの振る舞い、態度は神様の恵みに対する応答としてなされたことであったと思いますし、香油を注いだ女性もそうだったと思います。何に価値を置き、何のために使うか。私たちも信仰から考えていきたいと思います。アブラハムの人生は主にある人生、主を中心とする人生であった、その証しがここに記されていることです。

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