主イエスを見つめて歩もう(マタイ14章22~36節) 【週報巻頭言】2024年12月1日
すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。(マタイ14章28、29節)
ペトロとイエスさまのやり取りはとてもユニークな内容です。ペトロは、湖の上におられるイエスさまに、このようなお願いをしています。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。そこにおられるのが、本当にイエスさまなのか確認したかったのでしょうか。確認しないで、そのまま信じればいいのに、と思われる方があるかもしれませんが、私は、この場面で、ペトロは、イエスさまのお顔を見て、すっかり安心して、今すぐにでも、イエスさまのもとに行きたかったのかな?とも考えるのです。イエスさまは、「来なさい」と言われました。イエスさまの言葉を聞いて、安心して、ペトロは、舟を降りて水の上を歩きます。イエスさまの方に向かって進みます。
しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。(マタイ14章30節)
「強い風に気がついて怖くなり」とあります。風に気がついた。日本語として、正しく訳すなら、こういう言葉になると思いますが、ここは、「風を見た」ということが書いてあるのです。風を見た、といっても、私たちは、風を見ることはできません。ここで言われていることは、イエスさまを見て歩んだら、水の上を歩くことができた。けれども、風を見て歩んだら、沈んでしまった、ということです。
私たちの人生の歩み、どう歩んだらいいのでしょうか。このペトロのように、イエスさまを見つめて歩んだらいいのです。でも、ペトロのように、イエスさまから目をそらして、風を見たら沈んでしまうのです。私たちも、イエスさまを見つめることをしないで、イエスさまを見ないで、別なものを見て歩むなら、沈んでしまうのです。私たちも沈んでしまうことが度々ありますが、その時には、このペトロのように、「主よ、助けてください」と主に助けを求める、主の方に心の目を向けていくのです。
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。(マタイ14章31節)
沈みかかったペトロでしたが、「イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ」とあります。イエスさまはすぐに手を伸ばしてペトロを捕まえてくださいました。私たちも主に助けを求めるなら、主はすぐに手を伸ばして私たちを捕まえてくださるのです。
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