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エノクは神と共に歩み・・・(創世記5章1〜32節) 【週報巻頭言】2025年2月16日
エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創世記5章21~24節)
エノクについて書かれている箇所、ここには一つの特徴があります。21、24節に「神と共に歩み」とあります。エノクは神さまと共に歩んだ人であったことが書かれています。エノクについては新約聖書にも書かれています。
信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。(ヘブライ人への手紙11章5節)
エノクは、「神に喜ばれていた」とあります。神さまに喜ばれるとはどういうことでしょうか?ヘブライ人への手紙では、「信仰」という言葉が出てきます。それが、この創世記の個所では、「エノクは神と共に歩み」とあります。ここから分かることは、信仰とは、神さまと共に歩むということです。そして、神さまは、ご自分と共に歩む者を喜ばれるということです。
エノクの箇所の特徴として、「神と共に歩み」という言葉が加わっていると言いましたが、もう一つの特徴があります。それは「死んだ」という言葉がないということです。創世記では、「神が取られたのでいなくなった」とありました。神さまが取られる。神さまが主語、神さまが主体、神さまが中心。エノクの人生とはそういうものだったということです。これは、神さまに造られ、生かされている私たちすべてについても言えることです。私たちの人生は私たちのものではない。神さまのお与えになった人生、神さまが主体、神さまが中心の人生なのです。
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