神を見るとは・・・(ヨハネの手紙三9~15節) 【週報巻頭言】2026年3月8日
愛する者よ、悪いことではなく、善いことを見倣ってください。善を行う者は神に属する人であり、悪を行う者は、神を見たことのない人です。(ヨハネの手紙三11節)
「悪を行う者は、神を見たことのない人」とありました。神さまを見たことのない人。この言葉だけ読んでみますと、どういう意味か分からなくなります。なぜなら、私たちは誰一人、神さまを見たことがないからです。このことを理解するために、幾つかの聖書の言葉を見てみましょう。
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(ヨハネによる福音書1章18節)
いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。(ヨハネの手紙一4章12節)
お読みした二つの聖書の言葉には、神さまを見た者は誰もいないことが書いてありました。それでは、神さまを見るとはどういうことでしょうか?「父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」、「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」。
神さまを見る、神さまを知ると言ってもいいと思います。それは、神さまがお送りくださったみ子イエスさまを通して、神さまを見る、神さまを知るのです。神さまの教えの中心である互いに愛し合う。このことによって、神さまが私たちの内に留まってくださる。神さまの愛が私たちの内で全うされる、完成されるというのです。
つまり、神さまを見るとは、イエスさまを知る。それはただ知っているということではなく、人格的に知る。イエスさまに出会うということです。そして、イエスさまと出会い、その愛を知った私たちが神さまの愛に生きる、ということです。
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