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「全き者となりなさい」創世記17章1~8、15~22節 2026年5月24日

全き者となりなさい 創世記17章1~8節、15~22節 2026/ 5/24 赤塚バプテスト教会(朝・夕) 礼拝説教 石堂雅彦牧師

(はじめに)
 お読みしました聖書の個所は創世記17章です。この箇所の冒頭には、神さまからアブラムへの語りかけが書かれていました。
17:1 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。17:2 わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
 説教題は「全き者となりなさい」としました。これはただいまお読みしました神さまがアブラムに語られた言葉から取りました。この時、アブラムの年齢は九十九歳だったということです。当時の年齢の数え方がどのようなものであったかは分かりません。アブラムの生涯の終わりについては、同じ創世記25章に書かれていて、そこには、アブラム(アブラハム)の生涯は百七十五歳であった、とあります(25章7節)。この時代の人たちというのは、今の私たちよりも長生きだったのかもしれません。あるいは、数え方の違いというものであったかもしれません。しかし、九十九歳というのは、かなりの年齢であったことは、この後の17節の言葉からも分かります。神さまは、アブラムとサライの間に子供を与えると言われましたが、アブラムはそれを聞いて笑っているのです。百歳の男と九十歳の女に子供が生まれるだろうか?と笑っているのです。

(聖書から)
 アブラムは九十九歳であった。もう人生も終わりを迎えようとしている年齢だったと思います。そういう人に向かって、神さまはこう言われていたのです。「全き者となりなさい」。「アブラムよ、ここまでよく生きてきました。よく私に従ってきました」。そのようにおっしゃってもよいはずですが、神さまは、そんなことは言われないのです。もう一度、1節をお読みします。「アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」。
 九十九年、十分過ぎるほど人生を生きてきたと思えるアブラムに、こんなことを言われる。これは酷な話のように思えます。けれども、この神さまの言葉を読んでみて、一つのことに気づかされます。それは、初めから、全き者になりなさい、とは言われていないということです。神さまは、全き者になりなさい、と言われるその前にこういうことを言われたのです。「わたしは全能の神である」。まず、神さまは、ご自分がどういう方であるかを示されたのです。神さまは全能の神さま。全能の神さまというのは、何でもできる、完全な神さまという意味でしょうか。
 全能の神さま。私がまだ牧師になって間もないころ、私の父も牧師でしたが、よくいろいろな牧師先生の説教テープを送ってくれました。なかなか忙しくてそれを聴く機会がなかったのですが、ある時、水疱瘡にかかって、二週間ほど、教会にお休みをいただいて自宅で療養していたことがあります。その時、父から送られてきた説教テープをずっと聴いていました。ある教会の牧師先生の説教テープを聴いていましたら、その先生が、神さまはという方は全能の神だ、ということを言われました。「神さまは全能の方です。そして、私たち人間は、神さまの前に立つ時、無能な者であることに気づかされます。しかし、そこで大切なことは、全能の神さまに自分の人生をお委ねすることです。そうするなら、私たちの人生を神さまが取り扱ってくださり、素晴らしい人生となるのです」。そういうメッセージでした。神さまに自分を委ねて生きる。体が弱っていた時でしたから、そのメッセージにとても励まされたことを思い出します。
 神さまは、アブラムに言われるのです。私は全能の神、すべてを成し得る神である。その私に委ねて生きなさい。それが、「わたしは全能の神である」と言われた意味ではないでしょうか。神さまに委ねて生きるとき、あなたの人生は、神さまにあって完全な人生、神さまがあなたの人生を完成させてくださる。それがここで神さまがアブラムに言われたメッセージなのではないでしょうか。
 このメッセージを聴いたアブラムについて、3節には「アブラムはひれ伏した」とあります。ひれ伏す、それは、神さまを礼拝した、ということです。今、私たちも教会に集って、神さまにひれ伏しています。神さまを礼拝しています。
 続いて、神さまがアブラムに語られたこと、3~8節までの言葉をお読みします。
17:3 アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。
17:4 「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。17:5 あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。17:6 わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。17:7 わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。17:8 わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」
 神さまはアブラムにこう言われました。アブラムよ、あなたはアブラハムと名乗りなさい。アブラムからアブラハム。神さまは、アブラムに、アブラハムと名乗るように言われました。それはつまり、神さまが名付け親となられた、ということであり、神さまはこれからも、アブラハムの人生を導いてくださるということです。アブラハムという名前の意味は「多くの国民の父」ということです。お読みした5節以下に書かれているようなことがこれから起こるということが言われているのです。
 アブラハムとサラの間に子供が与えられるという話が15節以下に書かれていました。15~22節、長い引用になりますが、お読みします。
17:15 神はアブラハムに言われた。
「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」
17:17 アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」17:18 アブラハムは神に言った。
「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」
17:19 神は言われた。
「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。
17:20 イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。17:21 しかし、わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」
17:22 神はこう語り終えると、アブラハムを離れて昇って行かれた。
 まず、神さまは妻のサライの名前をサラと呼ぶように言われました。アブラムはアブラハムに名前を改めましたが、神さまはサライにもサラと名前を改めるように言われました。サラとは、「諸国民の母」という意味です。そして、「わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう」と言われました。神さまは、アブラムをアブラハム、サライをサラと名付けることを通して、彼らに神さまのみわざを行なおうとされたことが分かります。ところが、これを聞いた時のアブラハムについて、このように書かれていました。
 「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように」」。アブラハムはひれ伏した、とあります。アブラハムは神さまを礼拝しました。しかし、礼拝しながらも、彼は笑って、ひそかにこう言った、というのです。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか」。「ひそかに言った」。これは別の訳では、「心の中で言った」(口語訳、聖書協会共同訳)と訳されています。神さまは人の心の中もご存じです。アブラハムは、私たちはこんなに歳を取っていて、私たちの間から子供が生まれるはずはない、と心の中で思ったのでしょう。神さまは、イシュマエルのこと、イシュマエルというのは、アブラハムとハガルの間から生まれた子供です。その子のことを神さまは言われたのだろう、と思って、「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように」と言っています。しかし、神さまは「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする」と言われました。
 神さまはアブラハムとサラの間に生まれる子供の名前のことまでお話されています。イサクという名前、それは「彼は笑う」という意味です。続いて、神さまはサラにも子供が与えられることを告げられます(18章)。それは、実現することになりますが(21章)、この時には、アブラハムも、サラも、この話を聞いて笑ったのです。その笑いというのは、喜びの笑いではありません。なぜ、神さまは、実現不可能なことを言われるのだろう?神さまの言われることを信じることもなく、笑い飛ばしたのです。
 先ほど、アブラハムとサラの間に生まれる子供の名前はイサク、それは、「彼は笑う」という意味であると言いました。アブラハムとサラはそのことが信じられず、笑い飛ばしてしまったのですが、そういう二人に対して、神さまは、本当に喜べる、笑える、その日が来ることを示されたのです。神さまの約束が、神さまの言われたことが実現するその日が来ることを示されたのです。

(むすび)
 神さまは、アブラハムに「全き者となりなさい」と言われました。それは、私が全能の神であるから、私に委ねて生きよ、というメッセージであるとお話しました。もう一度、今日最初にお読みした1節の言葉に触れて終わりたいと思いますが、1節には「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」とありました。聖書協会共同訳では、「私は全能の神である。私の前に歩み、全き者でありなさい」と訳されています。「わたしに従って歩み」が、「私の前に歩み」となっています。「私の前に」、それは、神さまのみ顔の前で、神さまのまなざしの中で歩みなさい、ということです。
神さまは、アブラハムに、全き者となりなさい、と言われました。それは、非の打ちどころのない、完全な、完ぺきな人間になりなさい、ということでしょうか?もしそうなら、いいえ、私には無理です!そう言うほかありません。しかし、全き者となりなさい、とは、あなたは、神さまのみ顔の前で、神様のまなざしを受けて生きる者。あなたはいつも神さまから見られている、見つめられている者。神さまの目にかけがえのない、大切な者。そのことを喜び、感謝して、自分を神さまに委ねて歩むように。それが、神さまが言われたことなのではないでしょうか。これはアブラハムのことだけではありません。私たちも同じです。自分を神さまに委ねて歩む。そのことを神さまは求めておられるのです。お祈りいたしましょう。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
神さまはアブラハムに「全き者となりなさい」と言われました。神さまご自身が全能の神さま、何でもおできになる、完全なお方です。その神さまに自分を委ねて生きるように言われました。
九十九歳、普通に考えるなら、人生の最終ゴールに向かっているアブラハムに、神さまは、私に従いなさい、と言われました。神さまは、若くても、年を老いていても、変わることなく、一人一人に出会ってくださり、関わってくださり、共に歩んでくださる方です。私たちは、そのことを信じて、主と共に、この人生を歩ませてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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