自分の分を買って来なさい(マタイ25章1~13節) 【週報巻頭言】2026年10月25日
愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』(マタイ25章8、9節)
愚かなおとめたち、彼女たちは油を用意していませんでした。花婿がやって来る間中、ともし火を灯していたのでしょう。ともし火が消えそうになっていました。けれども、補充するための油を持っていません。困った彼女たちは、賢いおとめたちに言います。「油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです」。けれども、賢いおとめたちはこのように答えました。「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい」。分け与えるほどの余裕はない。自分の分で精一杯ということです。そして、「それより、店に行って、自分の分を買って来なさい」。「自分の分を買って来なさい」と言っています。
ともし火を灯すための油は何でしょうか?私は、油とは、イエスさまのことではないかと思うのです。イエスさまが一緒でなければ、祈りはできない、祈りは続かないと思います。イエスさまが一緒でなければ、信仰生活は成り立たない、信仰生活は続かないと思います。賢いおとめたちが油を求める愚かなおとめたちにこう言いました。「店に行って、自分の分を買って来なさい」。
「自分の分」ということです。イエスさまを信じる、イエスさまを求める。それはイエスさまを信じている人から貸し借りするようなものではないのです。「自分の分」とありますように、自分自身が、自分でイエスさまを求める、イエスさまを信じるのです。「店に行って、自分の分を買って来なさい」。それはイエスさまのもとに行くということではないでしょうか。
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