インマヌエル(マタイ2章13〜23節)
私たちは不条理な出来事に遭った時、どうして、なぜ、と問います。実はイエス様御自身がなぜ、どうして、という問いかけをされています。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27章46節)と。イエス様は十字架の上で叫ばれました。このイエス様の言葉、十字架の死を前にして叫ばれた言葉から知らされること、それは私たちの救い主、イエス様御自身、不条理を、人々の苦しみ、悲しみをその身に受けられた、ということです。マタイによる福音書1章23節ではイエス様について、インマヌエルということが言われています。インマヌエル、それは神様は我々と共におられる、ということです。私たちの苦しみ、悲しみ、不条理と思えること、そこにも共におられる。私たちと共に苦しまれ、私たちと共に悲しまれる神様ということです。私たちの人生の歩み、理解できないこと、納得できないこと、なぜなのか、どうしてなのか、そういったことが数限りなく、起こってきます。そのような私たちがおぼえておきたいこと、それはイエス・キリストは私たちの苦しみも、悲しみも、共に担ってくださっている。だから、私たちは立っていける、生きていけるのです。
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