上への召しという賞(フィリピ3章12〜14節)
「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」。ここに「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞」とありました。これは別の訳ではこのように訳されています。「キリスト・イエスにおける神の、上への召しという賞」(岩波版・青野太潮訳)。この訳ですと、神様がお与えになる賞とは何かと言うと、「上への召し」ということになります。「召天者記念礼拝」の「召天」ということ、天に召されること、それは賞を得たということです。その生涯を神様を信じ、従って生きていったお一人お一人、それは走り抜いたご褒美に神様からの賞をいただいているのです。この世、この地上での旅路をよく歩んできました。神様からのお褒めの言葉にあずかり、神様からの賞をいただいているのです。一方、私たちはまだ、競技を行っている選手です。苦しいこと、つらいこともありますが、「賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」のです。そして、先ほど、名前を読み上げました天に召された方々は今、天国の表彰式にあずかっている。私たちもその日まで、この世において、この地上において、神様がお与えになったこの命を、人生を最善をもって生き抜いていくのです。
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