アブラハムのエンディングノート(創世記24章)
この章はアブラハムの息子イサクのお嫁さん探しの話として知られている箇所です。「家の全財産を任せている年寄りの僕」(2節)とありますが、アブラハムは最も信頼していた僕にその大切な役割を託します。ただ3、4節にありますように、アブラハムは息子の嫁となる者の一つの条件を話しています。「天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように」(3、4節)。
このことで僕はアブラハムに尋ねます。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか」(5節)。相手の女性がここに来たくない、と言うならば、どうしましょうか?と尋ねています。すると、アブラハムは答えます。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない」(6〜8節)。
アブラハムは息子をあちらへ行かせてはならない、と言います。なぜでしょうか。理由は一つです。あちらへ行かせず、この土地で。それは神様の約束だったからです。アブラハム自身が自分はもう高齢だから、自分の住む土地で、というのではありません。神様が私に誓い、約束してくださった土地だから。その理由ゆえです。
ところで、アブラハムはこの章の後、25章にはその死について記されています。そこまでの聖書の記事を見ていきますと、6〜8節のアブラハムの言葉が聖書に記されているアブラハムの最期の言葉と考えることができます。最期の言葉、遺言ということが思い浮かびます。
私たちもやがて、この世における人生を終える日がやって来ます。どうでしょうか。最期に言っておきたい。遺言とも言える言葉、どんな言葉を遺していきたいでしょうか。今、エンディングノートという自分の家族などに遺しておきたい、伝えておきたいことを記すノートが流行っているそうです。これは大事なことだと思います。アブラハムのエンディングノートの言葉はこの言葉になるかもしれません。「天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった」。
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