【礼拝説教】2023年9月3日「あなたの罪は赦される」
聖書―マタイによる福音書9章1~8節
(はじめに)
今日の聖書個所は、このような言葉から始まります。
9:1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。
イエスさまが舟に乗って、湖を渡り、自分の町に帰って来られた、とあります。この聖書個所のすぐ前には、イエスさまが、弟子たちと一緒に舟に乗って、湖を渡り、向こう岸のガダラ人の地方に行かれたことが書かれていました(8章28節以下を参照)。
その地で、イエスさまは、悪霊に取りつかれている人たちを悪霊から解放されました。この人たちというのは、墓場にいた、とあり、また狂暴であった、ともあります。そういう彼らのことを、人々は、悪霊に取りつかれている、と言っていたのかもしれません。
そういう彼らとイエスさまは出会い、彼らをその苦しみから解放したのです。ところが、その地方の人たちは、彼らを助けたイエスさまを、自分たちにとって不都合な者と考え、この地方から出て行ってもらいたい、と願い、イエスさまは、ガダラの地方を去ることになったのでした。
悪霊に取りつかれていた、とされていた人たち、その人たちが、イエスさまによって、助けられた。しかし、人々は、そのことには無関心だった、というのです。人に関心を持たない、隣近所の人たちにも関心を持たない。それは、まるで現代に生きる私たちのように思えてなりません。
(聖書から)
イエスさまは、追い出されるような形で、ガダラの地方から戻って来ました。そうしたところ、イエスさまを待っていた人たちがいました。
9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。
「中風の人」とあります。聖書協会共同訳では、「体の麻痺した人」となっています。自分では、体を動かすことができない状態の人だったのでしょう。その人を床に寝かせたまま、人々がイエスさまのところへ連れて来た、というのです。私たちが今日お読みしましたマタイによる福音書では、「人々」となっているところは、マルコによる福音書では、「四人の男」(マルコ2章3節)、ルカによる福音書では、「男たち」(ルカ5章18節)となっています。それ以上のことは書いていませんから、詳しいことは分かりませんが、この中風の人をイエスさまのもとに連れて来た人たちというのは、その人の友人であるとか、知り合いであったと考えられます。
すると、イエスさまは、その人たち、つまり、中風の人をイエスさまのもとへ連れて来た人たちの信仰を見た、ご覧になった、というのです。信仰を見た。どういうことでしょうか?私は、今、ここで皆さんの信仰を見せていただいています。どんなふうに見せていただいているか、といいますと、皆さんが、この暑い日に、教会においでになっている。ある人は、お体が不自由な中でおいでになっている。ある人は、バスや電車を乗り継いでおいでになっている。またある人は、車で、長い距離を運転しておいでになっている。私は、神さまを愛し、神さまを礼拝しておられる。そういう皆さんの信仰を見せていただいて、私も神さまを愛すること、神さまを礼拝することにますます努めていきたいと思わされているのです。そして、イエスさまも皆さんの信仰をご覧になっておられると思います。
イエスさまは、中風の人を運んで来た人たちの信仰をご覧になって、このように言われました。「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」。中風の人を「子よ」と呼んでいます。イエスさまは、私たちにも同じように、「子よ」とお呼びになると思います。なぜなら、私たちは、子供なのです、神さまの子供なのです。イエスさまは、中風の人に向かって、「子よ」とお呼びになりました。あなたは、神さまの子供と言われたのです。
それに続いて、「元気を出しなさい」と言われました。別の訳では、「しっかりしなさい」(口語訳)、「勇気を出せ」(田川訳)となっていました。文語訳聖書では、「心安かれ」と訳されています。「安心しなさい」ということです。中風の人は、病のために、不安であったと思いますから、この「心安かれ」、「安心しなさい」という言葉はとても心に響いたと思います。
ところが、その後に、イエスさまはこのようにも言われました。「あなたの罪は赦される」。あなたの罪は赦される、と言われました。これを聞くと、ある人は、このように考えるでしょう。病は罪が原因であると。だから、罪の問題が解決しなければ、病は癒されない。この時代にも、この聖書の舞台のところでも、多くの人々が病は罪が原因であると考えていたようです(ヨハネ9章2節参照)。
では、イエスさまは、そういう意味で、言われたのでしょうか?ところで、この「あなたの罪は赦される」という言葉ですが、ある人は、「あなたの罪は赦されている」(新改訳・注)、つまり、あなたの罪はすでに赦されている、ということと説明しています。それにしても、ここでイエスさまは、罪について語っておられますが、私たちはどのように考えたらよいのでしょうか。
罪とは何でしょうか。聖書が示す罪とは、神さまとの関係においてのことです。ですから、罪の状態というのは、神さまとの関係が断絶してしまっている、ということです。それは、神さまがその人との関係を断ち切ってしまった、というのではありません。神さまに造られた、神さまに愛されている私たち人間が神さまとの関係を断ち切ってしまった、ということです。
しかし、イエスさまは、このように言われました。「あなたの罪は赦される」、「あなたの罪は赦されている」。それは、神さまは、あなたとの関係を回復した、ということです。どのようにして、関係を回復したかというと、神さまの側から、歩み寄ってくださったのです。安心しなさい。あなたは神さまの子供です。神さまはあなたとの関係を回復してくださいました。
このやり取りを聞いていた律法学者は、イエスさまが神さまを冒涜した、と考えました(3節)。イエスさまは、その律法学者の心の中を知り、このように言われました。
9:4 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。9:5 『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。9:6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
イエスさまはこのように言われました。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか」。悪いことを考えるというと、何か、悪いことを行おうとすること、悪いたくらみ、ということを考えます。ここで、イエスさまが悪いことと言われたのは、どういうことでしょうか。それは、イエスさまが神さまを冒涜した、と考えたことです。しかし、イエスさまは、中風の人の苦しみを受け止められ、彼に愛をもって語りかけられたのです。それなのに、彼らは、そのことにはまったく無関心だったのです。中風の人の苦しみに無関心、イエスさまを通して示された神さまの愛にも無関心、そのことをイエスさまは悪いことと言われたのです。
イエスさまは、中風の人にこのように言われました。「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」。すると、中風の人はどうなったでしょうか。
9:7 その人は起き上がり、家に帰って行った。
中風の人は、イエスさまの言葉を聞き、イエスさまの愛に触れ、起き上がった、というのです。起き上がった、というのは、新しい人生をスタートさせた、ということです。このことについて、イエスさまは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言われていましたが、この癒しの出来事は、「人の子」であるイエスさまが地上で罪を赦す権威を持っていることを示されるためだった、ということです。
(むすび)
9:8 群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。
イエスさまが、中風の人を癒された。その出来事を見た群衆は、恐ろしくなりました。しかし、それだけではなく、「人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した」ということです。この「人間」というのは、誰のことでしょうか、イエスさまのことを言っているのでしょうか。ここで「人間」とありますが、これは、複数形です。ですから、「人々にこれほどの権威を・・・」と訳すことができます。では、「人々」とは、誰のことかというと、教会のことを指しているのです。教会、つまり、私たちのことです。
「人々」というと、今日の聖書個所の最初に、このようなことが書かれていました。「人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て・・・」(2節)。ここに出てくる「人々」というのは、中風の人の友人たち、知人たちのことでしたが、今、私たち教会も、中風の人の友人たち、知人たちのように生きることを求められているのです。私たちは、イエスさまのところへ、誰を連れて行くでしょうか。そして、そのことを、「イエスはその人たちの信仰を見て」とありましたが、イエスさまは、私たちの信仰としてご覧になるのです。
「人間にこれほどの権威をゆだねられた神」。私たち教会に、「あなたの罪は赦される」という罪の赦しの権威を神さまは委ねてくださいました。罪の赦しの権威を委ねた、というのは、私たち教会に、罪を赦してくださるお方であるイエスさまをお送りくださったということです。ですから、私たちは、教会に集い、神さまのみ前で罪を告白し、罪の赦しを祈ります。それは、私たちを罪から解放し、新しく生きることを導いてくださるお方、イエス・キリストを知っているから、信じているからです。イエス・キリストが今、ここにおいでになるからです。
「あなたの罪は赦される」、「あなたの罪は赦されている」。イエスさまは、この私の罪を赦してくださいました。イエスさまは、十字架におかかりになってご自分の命をささげて、私たちを罪から解放し、神さまと共に歩むことができるように導いてくださいました。この救いの出来事を、自分に与えられたことと信じ、受け入れ、新たに神さまと共に歩む方がありますようにお祈りいたします。
祈り
恵み深い主なる神さま
イエスさまは、中風の人をイエスさまのところに連れて来た人たちの信仰を見て、中風の人を癒されました。私たち教会に与えられた大切な使命、それは、人々をイエスさまのところへお連れするということです。イエスさまに出会い、その愛に触れ、「あなたの罪は赦される」。この言葉を聞いて、主と共に新しい歩みを始めることができますように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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