極めて良かった(創世記1章26節~2章4節a)【週報巻頭言】2024年7月14日
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。(創世記1章31節)
神さまは、創造の業をなさいました。その都度、ご自分が創造されたものをご覧になって、「良しとされた」と言われたことが創世記1章には、書いてあります。しかし、この31節では、「見よ、それは極めて良かった」とあり、「良しとされた」という言葉以上のことが言われています。神さまは、ご自分が創造されたものをご覧になって、このように言われたのです。「良しとされた」。そして、「極めて良かった」。神さまによって創造された、造られた私たちが、極めて良いものとされているということ。神さまから、その存在を肯定されているということをおぼえたいと思います。
天地万物は完成された。(創世記2章1節)
ここには「完成された」とありました。私は以前、こんな話を聞いたことがあります。ある親御さんが自分のお子さんのことを「あの子は私の失敗作だった」と言って嘆かれた、というのです。しかし、どうでしょうか。その子は神さまが造られた一人の人間であり、親の所有物ではなく、神さまのものです。しかも、失敗作などではないのです。この聖書の言葉に「完成された」と書かれていますように、神さまの完成品なのです。私たちも同じです。お互いが神さまによって造られた存在であり、神さまによって完成された存在なのです。
私たちは、自分自身を見ると、不完全な者としか思えないかもしれません。しかし、神さまと共にあるならば、神さまが私たちを完成へと導いてくださいます。いいえ、神さまと共にあるならば、それは完成なのではないでしょうか。共にそのことを喜び、感謝して歩んでいきたいと思います。
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