イエスは彼を見つめ・・・(マルコ10章17〜31節)
ある金持ちの青年と主イエスのやり取り(17〜22節)を聞いていた主の弟子たちはこう言いました。「それでは、だれが救われるのだろうか」(26節)。私たちは自分で自分を救うことはできないのです。どんなに立派な生き方をしようと努力しても、修行をしても、自分の力で自分を救うことはできません。一人ペトロはイエス様にこう言っています。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」(28節)。確かにペトロは自分の仕事も、家族も捨てて、イエス様に従って行きました。でも、このペトロも捨てていないものがありました。それは何でしょうか。自分です。自分を捨てることができない。私はあれも捨てて、これも捨てて、主に従ってきました。そうやって、誇る自分自身、それを捨てることができない。私たちもこのペトロと同じく、どこまでも、捨てることができない、捨て切らない者です。主はそういう私たちをどのように見ておられるのでしょうか。21節に「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」とあります。また、23節には「イエスは弟子たちを見回して言われた」とあります。そして、27節に「イエスは彼らを見つめて言われた」ともあります。この主が見つめられたということ、ここには主の愛、慈しみが表わされています。捨て切らない、従い得ない私たちを見つめ、言われたことは「人間にはできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(27節)。だからこそ、神様にゆだねなさい。神様をよりどころとしなさい。神様は私たちを救ってくださる!と主は言われたのではないでしょうか。
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