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なぜ、天を見上げて立っているのか(使徒1章1〜11節)

白い服を着た二人の人は「なぜ天を見上げて立っているのか」(11節)と使徒たちに言います。天を見上げているということ、すでに主は昇天され、そこにはもうイエス様はおられない、見えないはずです。でも、名残惜しそうに天を見つめている使徒たちの姿が想像できます。しかし、それは過去のことです。彼らはいつまでも、過ぎ去ったことに留まっていたのではないでしょうか。じっと過去の思い出を思い起こし、立ち尽くしていた。それに対して、神様の御使いは言うのです。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。「またおいでになる」。それは主が再び来られるということです。再臨の主ということです。そのことを待ち望みつつ生きよ。それは何もしないで、過去を振り返り、過去に生きるということではありません。主を待ち望みつつ、今、あなたがたがすべきことをするように、ということです。それがこれから起こる出来事です。イエス様が言われたことです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(8節)。主の証人として生きよ。主は今、私たちにも語られます。主の証人として生きよ。過去に留まらず、自分に留まらず、一歩踏み出そうではありませんか。聖霊、神様の力によって、今、私たちは主の証人として生きることを召されているのです。地の果てまで、すなわち、全世界に、そして、私たちの生きるところの隅々まで、主の福音が伝えられ、主によって一人一人が復興、回復しますように、祈りましょう。

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