完成された人生(ローマ11章25〜36節)
放蕩息子のたとえ話(ルカ15章11〜32節)で弟息子が最後には父のもとに帰ったように、私たち人間も、私たちを造られ、愛される神様のもとに帰ること、神様とつながって生きることこそが私たち人間のあるべき姿であることを聖書は教えます。イザヤ書43章7節に私たち人間が完成された者であるとありました。このことで一つ言えることは私たち人間は神様につながってこそ、完成された存在、良き者として生きることができるということです。この前、少年少女科のジグゾーパズルの一つのピースが欠けていた、ということで、お店に取り換えに行きました。パズルにはたくさんのピースがあって、それをつなぎ合わせて、完成させるわけですが、そのたった一つが欠けていると完成させることはできません。私たちの人生も欠けてはならない一つ、それは神様とつながって生きるということ。そして、神さまとつながって生きるならば、神様と共に生きるならば、その人の人生はどのようなことがあろうとも、その人生は完成された人生です。どうか、みなさんの人生がそのような人生であることを心から願っています。
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