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命を見出す(マタイ10章34~39節)【週報巻頭言】2024年3月3日

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。(マタイ10章37節)

「わたしよりも父や母を愛する者」、「わたしよりも息子や娘を愛する者」と語られています。父や母を、息子や娘を愛するな、と言われているのではありません。家族というのは、私たちにとっては、かけがえのない、本当に大切な存在です。私たちは、家族を愛することに努めます。ここで言われているのは、その家族を愛する以上に、イエスさまを愛しなさい、ということです。そして、イエスさまを愛するとは、イエスさまに従うこと、イエスさまのために生きることです。

自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。(マタイ10章39節)

「自分の命を得ようとする者」とあります。この「得る」という言葉は、直訳的に訳すなら、「見出す」という言葉です。そうしますと、「自分の命を見出す者」ということになります。「見出す」とは、「見つける」とか、「発見する」という意味です。しかし、自分で命を見出すことはできません。神さまなしで命を見出すことはできません。「わたしのために命を失う者」、つまり、イエスさまのために自分の命をささげていく時、命を見つけることができる、命を発見することができる、と主は言われるのです。

イエスさまのために自分の命をささげる。それは、この命は私のものではない。この命は神さまから与えられたもの。だから、神さまのみ心は何か、神さまの喜ばれることは何か。そのことを求めて、神さまのためにこの命を用いていこうという生き方です。そして、その時、私たちは、命を見出すことができるのです。神さまから与えられた命の意味を知り、命を喜ぶ者とされるのです。

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