内なる人は日々新たに(二コリント4章16〜18節)
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(4章18節)。
肉体の衰え、艱難・・・。私たちは年を取ることや苦しみに遭うことを避けたいと思うかもしれません。しかし、それらのことを通して、「見えるもの」、この世の有様、価値観、考え・・・。そこから、「見えないもの」に目を移し、目を注いでいく時、その人生はどんなことがあっても、幸いなのです。神様の祝福の中にあるのです。
見えないものに目を注ぐ。それは神様の視点、神様のまなざしから、すべてを見ていくということです。そこから見ていく時、私の人生は神様が与えられた人生であり、神様の御計画の中にある、神様の御手の中にある人生、私ということが知らされていきます。肉体の弱さをおぼえる時、苦しみに遭う時、私たちは、この私はどうなるのだろうか、私の人生はどうなるのだろうか、と恐れ、不安をおぼえます。しかし、この私は神様の御計画の中にある、神様の御手の中にある。だから、私のすべてを神様にゆだねていこう。神様が最善をなさることを信じていこう。神様への全面的な信頼、信仰をもって、神様から与えられた地上における人生を精一杯生きていく者でありたいと思います。
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