生きていて良かった!(詩編90編1〜12節)
「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」(1節)。この詩人にとって、神様という方は「わたしたちの宿るところ」と言えるような方なのです。私たちの神理解を考えさせられます。私たちは神様をどのような方と考えているでしょうか。「わたしたちの宿るところ」というほどに拠り所としているでしょうか。
「人の子よ、帰れ」(3節)は神様こそが我が家とする詩人の言葉と対応します。人は帰るところがあるのです。神様こそが、天の国こそが私たちの真の終の棲家なのです。「人の子よ、帰れ」と神様ご自身が呼びかけられます。私たちの帰るべきところ、神様の懐に私たちはいつの日か戻るのです。
「千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません」(4節)。4、10節は時について語られています。神様の前には一瞬の時と見えるその時を生きる私たちです。しかし、その一瞬とも思える時も神様は共におられ、導いておられるのです。一瞬の時を生きる、小さき者としての私たち。その私たちをかえりみたもう神様なのです。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(12節)。「生涯の日を正しく数える」。それは神様との関わりにおいて、与えられた日々を数える、おぼえるということなのではないでしょうか。その時、私たちの人生の意味が知らされ、そのこと自体が生きる力となるのではないでしょうか。私たちの人生はあっという間の人生で留まらないのです。その一瞬一瞬が意味のある有意義なものであることを神様との関わりの中から知らされ、生きていてよかった!と言える人生になるのではないでしょうか。
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