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信仰が現れる?(ガラテヤ3章21〜29節)

 「信仰が現れる」(22、25節)。岩波訳では「信仰が到来する」となっています。日本語としては違和感がある言葉です。しかし、このような言葉を使うことによって、パウロは二つのことを示しているように思います。一つは信仰というのはイエス・キリストご自身を指しているということです。イエス・キリストが現れた、イエス・キリストが到来したことによって私たちに救いが与えられたのです。
 もう一つのこととして、信仰は自分の中から出てくるものではない。信仰は向こうから現れる、やって来るもの。言い換えると、信仰は与えられるものということです。私たちがイエス・キリストを救い主、神の子と信じた。それは自分の知恵や悟りによるものではありません。イエス様の十字架がこの私のため。どうして、このことを信じることができるようになったのでしょう。神様が私たちの心を開いてくださって、信じる心を与えてくださった。信仰を与えてくださったのではないでしょうか。
 私はそのことを思う時に、本当に祈りが大事だと思います。私たちは福音宣教が前進するように、と心から願っています。そのために自分たちができることは何だろうか、と話し合います。そして、あれをしよう、これをしようと励みます。でも、私たちはどんなに話し合っても、あれをしよう、これをしようとしても人間の知恵や力だけではどうにもならないのです。大事なことは、神様ご自身が一人一人の心に語りかけ、臨んでくださること、神様の力、働きによらなければ、人は救われないのです。そのためにも私たちはまず、心を合わせて祈ることです。
 今年は6月8日がペンテコステでした。聖霊降臨日、キリスト教会の誕生日とも言います。その時の出来事が使徒言行録1、2章に記されています。イエス様の弟子たちが一つになって集まっていました。何のために集まっていたでしょうか。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒言行録1章14節)。「心を合わせて熱心に祈っていた」とあります。そこに聖霊降臨の出来事が起こりました。私たちは何よりもまず、心を合わせて祈る。そこからすべてを始めて行きたいと思うのです。伝道の働き、救いのわざ、これは神様のなさることです。このことを期待して、一緒に祈りつつ励みましょう。

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