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神不在は神の臨在を知る時(詩編63編3節)

最近、ある牧師先生の書かれたものを読み、大きな励ましをいただきました。そこには「神の不在を感じる時は神の臨在の時である」ということが書かれていました。神様がおられることを私たちが感じることができるのは素晴らしいことであるけれど、そして、それは私たちにとって何か良いことと思えるようなことがあった時など、神様はおられる!生きて働いておられる!と知らされ、感謝でいっぱいになったりしますが、その反対に自分にとって辛く苦しく思える時、なぜ神様は沈黙しておられるのか、神様は不在なのだろうか、と神様の存在を疑ったり、心が沈んでしまったりするのではないでしょうか。けれども、むしろ、その時こそ、神様が近くにおられること、共におられることを本当に知らされる時なのだ、というのです。私たちは自分の感じ方、感性を絶対化しやすいものです。しかし、神様はどのような時も(神様がいると自分では感じられないような時でも)そこに変わることなく、私たちと共におられることをおぼえたいと思うのです。詩編63編3節に「今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み あなたの力と栄えを見ています」とあります。これはダビデがユダの荒れ野にいた時にうたったとされる詩編の言葉です。ダビデは荒れ野を聖所と呼んでいるのです。荒れ野、苦しみの中で、そこでも、主が共におられる!その信仰がダビデを支えたのです。私たちも人生の荒れ野と思える状況、場にあって、そこが聖所、すなわち、神様がおられるところであることをおぼえたいと思います。

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