私たちの祈りは聴かれるのか?(二コリント12章1〜10節)
私たちの祈りは果たして神様に聴かれるのでしょうか?パウロには肉体のとげ(病のことと言われます)がありました(7節)。そのことで神様に何度も祈った、というのです(8節)。パウロに対する神様の答えはこのようなものでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)。この言葉から分かることはパウロの体は癒されなかったのかもしれないということです。しかし、その体のままで、神様は数々の福音宣教の働きのためにパウロを用いたのでした。
私も三年前、大病を患った時、必死で祈りました。毎日、病床で体の回復を祈りました。神様は果たして私の祈りを聴いてくださるのだろうか?そういう不安もありましたが祈り続けました。今の時点で言えることは完全に元通りにはなっていませんが、祈り続けています。でも、自分の体の不自由さ、不完全さをおぼえる時、神様はそれでも私を用いてくださっているという驚きと喜びを感じています。これが私にとっての「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」ということだと思っています。不完全な私に対する完全な神様の恵みを知ります。
私たちは年齢と共に肉体の弱さ、脆さをおぼえることがあるでしょう。前にはできたことが今はできなくなってきた、とがっかりすることもあるでしょう。しかし、パウロに語られた神様の言葉をおぼえたいと思うのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」。このことが私たちにおいても現実のものとなるのです。本当にそうだと言える体験をさせられていくのです。
私たちの祈りは聴かれるのか?主は聴いておられ、最善の形で応えてくださいます。それは私たちの願った通りではないかもしれませんが、主は最善を導かれるのです。
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