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すべての口がふさがれて(ローマ3章9〜20節)

「それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです」(19節)。「すべての人の口がふさがれて」とあります。この箇所の前にはのど、口について、このような言葉があります。「彼らののどは開いた墓のようであり、/彼らは舌で人を欺き、/その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち」(13、14節)。ここには言葉で犯す罪について記されているようです。それが神様の前にはその口がふさがれてしまうというのです。先日、早天祈祷会で主の弟子の一人ペトロが主の栄光を見た時、その輝く姿に「どう言えばよいのか、わからなかった」(マルコ9章6節)とありました。私たちが真に神様の愛と義の前に立つ時、その口はふさがれるのです。どう言えばよいか分からなくなるのです。
ある牧師先生は言われました。「今日(こんにち)のクリスチャンはしゃべりすぎる。口を閉じて、主のみわざに励め」と。マルコによる福音書には弟子たちが主の言葉を聞いて、「論じ合った」(マルコ9章10節)ということも記されていました。今の時代、伝道について論じ合うことは多いかもしれません。しかし、実際に伝道することについてはどうでしょうか?
神様の裁きの前には、すべての人の口はふさがれるのです。それは神様の前にはだれも言い訳はできないということです。ローマ書のこの箇所では神様の裁きについて言われていましたが、神様の愛と義の前には、ペトロが何を言ったらよいのか分からなかったように、私たちも神様の愛と義に出会うと、口がふさがれる。いいえ、圧倒されると言ったらいいでしょうか、沈黙させられるのです。そして、私たちの口から再び言葉が出てくる、悔い改め、感謝と喜びの言葉が出てくるのです。そこから信仰は始まります。主のみわざに励みましょう。

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