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キリストにある成長(エフェソ4章1〜16節)

エフェソの信徒への手紙4章12節に「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき」とあります。これが牧師の仕事であり、教会のリーダーたちの仕事です。「聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ」という言葉は口語訳では、「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ」とありました。岩波訳では「奉仕の働きのため、キリストの体の構築のため聖なる人々を[霊的に]装備する」とありました。この「霊的装備」という言葉は印象深いものです。これが欠けてしまうならば、ガソリンのない自動車を走らせるようなことになってしまいます。私たちがまず、霊的に装備されること、霊的な養い、霊的に整えられることが必要です。それは命の言葉であるみ言葉をいただくということです。
13節に「わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する」とあり、キリスト者、教会の成長のことが言われています。この「信仰と知識」という言葉を本田哲郎神父は「信頼してあゆみを起こし、神の子を体験する」と訳しています。また岩波訳は「信仰の一体性に、そして神の子の認識の[一体性]」と訳しています。信仰とは、ただ頭の中で信じるだけのことではなく、主を信頼して歩むことであると教えられます。また知識ということについても観念的なものではなく、神の子を体験するということ、神の子を認識することが大事であることを教えられます。私たちが日々の生活の中で主の言葉に従っていく時、そこで生きて働いておられる主を体験する、イエス・キリストとの人格的な出会いを体験するのです。そして、その喜びからますます主のものとして生きようとするのです。それがキリストにある成長です。

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