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【週報巻頭言】2021年4月11日 信仰、希望、愛の教会として(一テサロニケ1章1~10節)

パウロは祈りの度に、テサロニケの教会のことを思い起こしていると言っています。この教会のメンバーのことを神さまに感謝しているというのです(一テサロニケ1章2節)。そして、この教会のメンバーについて、このようなことも言っています。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」(同1章3節)。ここには三つのことが言われていました。「信仰によって働き」、「愛のために労苦し」、「わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐している」。信仰、希望、愛です。

パウロは「愛の章」としてよく知られているコリントの信徒への手紙一13章で神さまの愛について語っています。その章の最後の言葉がこれです。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(一コリント13章13節)。ここにも信仰、希望、愛が語られていました。

このように考えると、テサロニケの教会のメンバーというのは、とても素晴らしい、信仰深い人たちだったのだ、と思うかもしれません。信仰、希望、愛によって歩んでいる群れ。それからすると、私たちはどうだろうか?果たして、信仰、希望、愛の教会なのだろうか?と受け止めて、もっと頑張らなくては、しっかりしなくては、と思うかもしれません。

しかし、テサロニケの教会だけが特別に信仰、希望、愛の教会だったわけではありません。私たち赤塚教会もテサロニケの教会と同じなのです。私たちの教会も、信仰、希望、愛の教会です。なぜ、そのようなことが言えるのでしょうか?それは、教会はイエス・キリストを頭としている、中心としているからです。教会の頭、中心であるイエス・キリストが私たちに信仰を与え、希望を与え、愛を与えてくださっているのです。その私たちに求められていることは、主が私たちに信仰、希望、愛を与えてくださったことを信じることです。

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