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あれほどの大きな体験・・・(ガラテヤ3章1〜14節)

ガラテヤの信徒への手紙3章4節に「あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか」とあります。口語訳聖書では「あれほどの大きな経験」となっています。これはイエス様に救われた体験のことをパウロは言っています。パウロ自身はキリストに出会う前は、キリスト教の迫害者でした。そうすることが神様のみ心に適うことだと確信して、熱心にキリスト教会を迫害していました。そういうパウロがある時、ダマスコに行く途中で復活のイエス様に出会いました。そして、パウロはイエス・キリストを信じ、今までの生き方は間違っていたことに気づき、キリスト教の迫害者から、キリスト教の伝道者に大転換しました。すると、パウロにとっては、キリストを信じたという体験は確かにあれほどの大きな体験かもしれません。しかし、ここでパウロは自分のことだけを言っているのではないのです。キリストを信じたすべての人に向かって言っているのです。
しかし、パウロのような大きな体験、またあの人、この人のような大きな体験を私はしていない。そのように思われるかもしれません。イエス様を信じるという体験、それは特別に何か大きな出来事を通して、というのではなかったかもしれない。人と比べるなら、自分の体験というのは、本当に小さなもの。そのように思われる方があるかもしれません。パウロがあれほどの体験と言ったこと、それは私たちにとって、大きな体験と思えること、小さな体験と思えること、どんな体験であれ、パウロは、「イエス様に出会った」という、そのこと自体が大きな体験、あれほどの体験なのだ、と言っているのです。ところが、私たちの側で、イエス様に出会ったことを小さな体験にしてしまうのです。私たちの生活の中のほんの些細なことにしてしまうのです。でも、パウロはそうではないと言うのです。イエス様に出会ったということはあなたの人生にとって大きな出来事なのですよ。あなたに出会ってくださったイエス様をあなたの生活の中心に据えなさい。イエス様を片隅に追いやってはいけませんよ、と言うのです。イエス様を信じたけれど、何も変わらない。そうおっしゃる方があります。そういう方はいかがでしょうか、イエス様をあなたの生活の、人生の中心に据える。そこから、あなたの生活は、あなたの生き方は変わっていくのです。

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