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イエス様ならどうすると思う?(ヘブライ2章1〜9節)

「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます」(ヘブライ2章1節)。ここに「聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません」とあります。「聞いたこと」というのは、神様の言葉のことです。新共同訳聖書の注意を払う、という言葉もよいですが、口語訳聖書では「いっそう強く心に留めねばならない」となっていました。注意を払う、心に留める。神様の言葉を大事に心に受け止めていくということです。
アメリカの若いクリスチャンの中で、腕にWWJDという文字の入った腕輪などのグッズを付けている人がいると聞いたことがあります。WWJD、これはWhat Would Jesus Do?を略したものです。日本語では「イエス様ならどうすると思う?」という意味です。このWWJDの文字の入ったグッズはキリスト教の書店のグッズ売り場にも置いてあるようですが、それを見て、いろいろな人生の選択、選び取りの時、イエス様ならどうされるだろう?そのことを考えてみるとよいと思います。そのために聖書を開いて、あるいは心に留めている聖書の言葉を思い起こしてみるということは大事なことです。
神様の言葉に注意を払わないと、心に留めておかなければ、押し流されてしまいます、と言われていました。押し流されてしまうというのは、世の中の考えに押し流されてしまうということです。イエス様を信じる者にとっては、イエス様の考えが第一、一番です。それなのに、簡単に押し流されてしまう。3節には「これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて」とあります。神様の言葉を大事にしないというのは、神様から与えられた救いに対してむとんちゃくになるということ、新改訳ではこのむとんちゃくということをないがしろにする、とありました。イエス様の救いにむとんちゃくでないように、イエス様をないがしろにしないように、私たちはいつもこのことに気をつけなければなりません。

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