イエスによって感謝する(コロサイ3章12〜17節)
コロサイの信徒への手紙3章12〜17節、ここには「感謝」という言葉が何度も出ています。「いつも感謝していなさい」(15節)、「感謝して心から神をほめたたえなさい」(16節)、「イエスによって、父である神に感謝しなさい」(17節)。私たちは「感謝」という言葉、日常でどれだけ使っているでしょうか?ある人はこう言いました。「聖書に感謝という言葉がたくさん出てくるけれども、感謝できることは少ない」。自分にとって良いことがあったら、神様に感謝できますが、そうでないときはなかなか感謝できないかもしれません。「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(17節)。何を話すにも、行うにも、というのは私たちの日常生活のことです。すべて主イエスの名によって行い、というのは、いつもどこでもイエス様が一緒におられることを意識していなさい、ということではないでしょうか。そして、ここには「イエスによって、父である神に感謝しなさい」とありますが、私たちが神様に感謝できるのも、イエスによって、ということ、イエス様が私たちを感謝する者へと導いてくださるということです。
自分にとって良いとは思われないことがあると、感謝することは難しいです。そういうとき、無理に感謝する必要はありません。感謝できない私。でも、その時、イエス様を見つめてください。イエス様の私に対する関わりを思ってください。愛せないとか、赦せないとか、感謝できない・・・、そういう私を変わることなく、主は愛しておられる。その変わらない主の愛を思い起こす。主の愛を知り、主に愛されている私を知る。そこから小さな感謝の心が芽生えてくるのではないでしょうか。
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